2018年3月12日月曜日

脇起こし五吟歌仙・夕陽暫くの巻 評釈


   夕陽暫く塔を捉へる寒さかな      卓
 媚庵さんから頂いた発句は眉村卓句集『霧を行く』より。眉村卓はSF作家として知られるが、じつは赤尾兜子門で、学生時代は俳句雑誌への投稿少年だった由。連衆以外の句を発句とし、脇から連衆が巻く進め方を脇起こしという。

   夕陽暫く塔を捉へる寒さかな      卓
    飛行機雲の凍る静寂       ゆかり
 脇は発句と同季、同じ場所にて挨拶として発句に返す。地球の丸さを感じる寒々とした発句に対し、さらに上空の、今しも音もなく進んでは凍る飛行機雲で付けている。

    飛行機雲の凍る静寂       ゆかり
   中学の裏の近道駆け抜けて      媚庵
 第三は場面転換である。地上に目を移し、近道を駆け抜けている。

   中学の裏の近道駆け抜けて      媚庵
    お札はすべて後ろポケット     なな
 前句だけだと主語がないので読者は句を詠んだ主体が主語だと自動的に思うわけだが、そこを敢えて札入れなど持ったこともない中学生らしき人物像に換えている。

    お札はすべて後ろポケット     なな
   ちりぢりと川波立つを望の月     銀河
 月の座である。すると前句は家出だったのだろうか。月下に川面を眺めている。

   ちりぢりと川波立つを望の月     銀河
    人工芝に蜩の鳴く         りゑ
 まだ早い時刻なのだろうか。河川敷には人工芝が広がり、蜩が鳴いている。

    人工芝に蜩の鳴く         りゑ
ウ  長き夜を二階の父のパター落つ     り
 初折裏折立である。実際の句座であればここからは酒が振る舞われ、羽目をはずす。前句を受け、自宅にしつらえたパター練習用の人工芝を階下から音の情報として詠んでいる。「蜩」「長き夜」という時間の交錯は疵といえば疵だろう。

   長き夜を二階の父のパター落つ     り
    点滅やまぬ着信表示         庵
 二階の気配を感じつつ、階下では音を押し殺した事態となっている。着信はミュートしたまま放置され、息子または娘の濃厚な情事がほのめかされている。

    点滅やまぬ着信表示         庵
   耳たぶを噛む酒の香を漏らしつつ    な
 前句に応えるように濃厚な情事を展開している。恋の座である。

   耳たぶを噛む酒の香を漏らしつつ    な
    愛しきタマに戒名の欲し       河
 前句を猫の甘噛みと捉え、恋離れとしている。

    愛しきタマに戒名の欲し       河
   あやとりの橋もあやしくひるがへり   ゑ
 三途の川が下敷きにあるのだろうか。なんともビジュアルな転じである。

   あやとりの橋もあやしくひるがへり   ゑ
    潮もかなひぬ銀の少女よ       り
 橋といえばサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」である。「Sail on silver girl/Sail on by/Your time has come to shine」の部分を額田王の「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」と組み合わせ、前句のあやしさを受けている。

    潮もかなひぬ銀の少女よ       り
   馬車が行き犬が馬車追ふ夏の月     庵
 字面だけを追えば、前句は時期が来たと言っているだけで必ずしも出帆ではない。だから馬車で付けている。馬車を追う犬は少女の飼い犬だったのだろうか。折しも夏の月が出ている。

   馬車が行き犬が馬車追ふ夏の月     庵
    胎児のころの夢を見てゐる      な
 寝てしまったのだろうか。夢を見ている。大胆な転じである。

    胎児のころの夢を見てゐる      な
   沫雪の溶けてかすかに音がして     河
 夢の中のことなのか現実のことなのかを曖昧にして玄妙に付けている。ここから花の座に向けて春の句が続く。

   沫雪の溶けてかすかに音がして     河
    試験あがりのダージリンティー    ゑ
 試験がはね、喫茶店でダージリンティーを飲んでいる。前句がそのまま砂糖のイメージとなっている。
 
    試験あがりのダージリンティー    ゑ
   技師長の退官の日の花万朶       り
 学業の試験ではなく、生産する製品の試験に読み替えている。課長、部長、事業部長というマネージメントを含めた出世コースとは別に純粋に技術を究めた人に与えられるポストとして技師長があるが、その退官の日、折しも満開の桜が咲いている。

   技師長の退官の日の花万朶       り
    海鳴り遠き駅に汽車待つ       庵
 余生のはじめを旅に出るのだろうか。遠く海鳴りが聞こえる。

    海鳴り遠き駅に汽車待つ       庵
ナオ ひとりだけギターケースがナイロンで  な
 名残表を通して、捌き人からドシャメシャな句を所望した。「ドシャメシャ」はたぶん山下洋輔語。初折裏よりも一層羽目を外してもらいたく、そういう言葉でお願いした。楽旅だろうか合宿だろうか、駅で汽車を待つのは初老の男ではなく、楽器を持った集団だった。ハードケースが多いなか、ひとりだけナイロン製のセミハードケースを背負っている。

   ひとりだけギターケースがナイロンで  な
    小石蹴とばしゆくハイヒール     河
 そのナイロンのケースの人物は女性で、小石を蹴飛ばして行くのだった。

    小石蹴とばしゆくハイヒール     河
   油揚げふくろにひらくももんがあ    ゑ
 夕食の支度だろうか、油揚げをふくろにひらくとももんがあのようなのであった。

   油揚げふくろにひらくももんがあ    ゑ
    ハットリくんのお面で迫る      り
 ももんがあと言えば、藤子不二雄Aの『忍者ハットリくん』にムササビの術というのがあって、両手両足で風呂敷の四隅を持ち滑空するのだった。ハットリくん自体が無表情を売りにしているキャラクターであるが、ここではさらに「お面」とした。縁日で並ぶセルロイドのイメージ。

    ハットリくんのお面で迫る      り
   化け損ね甲賀の里の樹氷林       庵
 伊賀忍者のハットリくんのライバルは甲賀忍者のケムマキケムゾウであるが、はて、甲賀の里とはどこであったかと検索してみると、滋賀県甲賀市。そんなところに樹氷林ができるのかとも思うのだが、化け損ねなのだからなんでもありである。

   化け損ね甲賀の里の樹氷林       庵
    次来るときは餌を一屯        な
 樹氷林に化けたとはいえ、元は生身の忍者なのだから腹も減る。しかし林にまでなってしまったので、食料の補給も半端ではない。

    次来るときは餌を一屯        な
   浮世絵はコピーアートのさきがけと   河
 コピーアートとは、デジタル大辞泉によると「コピー機を利用した現代美術の一つ。たくさんのコピーを組み合わせて、新しいイメージを作り上げる。コピー機とコンピューターを連動させ、さまざまなイメージのコピーと画像を融合させることもできる。」とある。もしかすると、打越から分身の術を連想したのかもかも知れない(余談ながら、銀河さんは白土三平のかなりの読者である)。が、打越と結びつけて読むのは正しくないので考え直すと、寝食を忘れて制作に没頭する浮世絵作家の様子が見えてくる。

   浮世絵はコピーアートのさきがけと   河
    記念硬貨でお釣りを貰ふ       ゑ
 硬貨というのも、まあ版画のようなものかも知れない。プレミアがつかないほど大量に発行された、ありがたみのない記念硬貨なのか。あるいはそういうことにまったく関心がない人物像なのか。

    記念硬貨でお釣りを貰ふ       ゑ
   段違ひ平行棒に小鳥来る        り
 オリンピックのイメージで「段違ひ平行棒」としたが、ときどき普通の公園の遊具として段違い平行棒を見かけることがある。そんなもの、一般市民が使うのだろうか。月の座へ向かいここから秋の句が続く。

   段違ひ平行棒に小鳥来る        り
    軍服を着た斜めの案山子       庵
 急激に政局が展開しているのでどうなるか分からないが、媚庵さんがこの句を付けた時点では、二〇二〇年の東京オリンピックは、中止になった一九四〇年の幻の東京オリンピックとかなりイメージが重なるものと多くの人が予感していた。暗い不吉な案山子である。

    軍服を着た斜めの案山子       庵
   こめかみに栗名月の貼り付いて     な
 月の座である。同季の中では時間軸を戻れないので、旧暦九月十三日である後の月の異名である栗名月としている。こめかみに貼るといえば膏薬であるが、意表をついて栗名月を貼り付けている。頭が痛いのだ。

   こめかみに栗名月の貼り付いて     な
    憂世なんめり小夜の中山       河
 銀河さんの自解によれば「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山 西行」に基づいていて、小夜の中山は旧東海道の掛川市にある急峻な坂道とのこと。まことに頭が痛い。「なんめり」は断定の助動詞「なり」の連体形+推定の助動詞「めり」からなる「なるめり」の撥(はつ)音便で、…であるようだ。…であるように見える。

    憂世なんめり小夜の中山       河
ナウ 煎餅の袋にくわりんたうを詰め     ゑ
 名残裏からは挙句に向かいしらふに返った感じで進行する。「煎餅の袋」で検索すると業者向けのサイトに飛び、酸素バリア性に優れ、とか、突刺強度に強く、とか、私のボキャブラリーにない言葉が並ぶ。便利すぎる世の中も考えものである。それはさておき、かりんとうを小分けにしてまだ食べない分がしっけないようにしているのだろう。憂世であるが、かりんとうは食べる。

   煎餅の袋にくわりんたうを詰め     ゑ
    螺髪の如き鉄瓶の肌         り
 折しも湯が沸いている。鉄瓶の表面の突起は大仏の螺髪のようである。

    螺髪の如き鉄瓶の肌         り
   自転車で帰れば空にオリオン座     庵
 自転車での帰り道、見上げるとオリオン座が見えるのであった。どうでもいい話だが、角川の合本俳句歳時記では「冬の星」の傍題として「寒オリオン」とある。「オリオン座」では季語とみなさないつもりらしい。

   自転車で帰れば空にオリオン座     庵
    楽屋見舞のタヲルやはらか      な
 楽屋見舞の品がタオルということは、そんなに売れている人ではないのだろう。アルバイトで生計を立てながら自転車で芝居小屋まで行く劇団員を思い浮かべる。なお、名残裏四句目であるが、春の句を特に要求しなかったのは、春の短句が往々にして挙句のような雰囲気を帯びてしまうからである。

    楽屋見舞のタヲルやはらか      な
   湯煙に見え隠れして花万朶       河
 花の座である。タヲルからの連想で湯煙が導かれている。露天風呂から桜が見える。

   湯煙に見え隠れして花万朶       河
    うまし大和に風船の旅        ゑ
 挙句である。かつて風船おじさんという人が消息不明となり話題となったが、「風船の旅」は人間が風船で飛行するという危険を冒すものではなく、漂う風船を旅と見立てたものだろう。あるいは、熱気球のことを詩的に「風船」と詠んでいる可能性もないわけではない。「うまし大和」は万葉集の「うまし国ぞ秋津島大和の国は」に基づいている。発句と同じく見上げたアングルでありながら、構造物を配した発句に対し、挙句では広々とした景を古語を取り入れながら詠んで、対比させつつ余情のあるものとしている。

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