寒月のふくらみてゆく家路かな あんこ
起首は2019年1月21日(月)。国立天文台のサイトによれば月齢15.1、月の出17:01。上ったばかりの月は屈折の関係で巨大に見える。連句には月の座というものがあるが、そんな巨大な満月を目の当たりにしたらお構いなしに発句にするしかないだろう。のちのちいろいろなことを引き起こすだろうが、それはのちのち考えればいいことだ。
寒月のふくらみてゆく家路かな あんこ
おでんの種のふたり分強 ゆかり
発句の「家路」を受け、脇は夕食の献立とした。「強」に若干のいたずら心があるが、そんな挨拶も許されるだろう。
おでんの種のふたり分強 ゆかり
わたつみのそこひに泡の生まるらん 登貴
第三は発句と脇の挨拶から離れ飛躍する。前句の鍋の泡立ちから海の底に思いを馳せている。「わたつみ」「そこひ」という古語のニュアンスと「らん」が効いている。なお、発句の中で「ふくらみて」と、「て」が使われているので、ここでは第三によくある「て止め」を回避している。
わたつみのそこひに泡の生まるらん 登貴
残暑の港町の教会 媚庵
前句の深海の暗いイメージに対し、白昼の港町の教会を遣り句的に置いている。次が月の座なので秋の句としている。
残暑の港町の教会 媚庵
十六夜のガラスの欠片集めゐて なな
月の座であるが、発句に「寒月」があるので敢えて「月」の字を出さず、「十六夜」としている。前句の教会は破壊されたのだろうか。月下にステンドグラスの欠片がきらめいている。
十六夜のガラスの欠片集めゐて なな
記憶にはなきかりがねのこゑ こ
破壊に記憶はつきものであるが、敢えて記憶にないものを挙げている。ここで初めて聴覚的な情報が登場する。なお、「寒月の」「おでんの」「わたつみの」と「の」が続いてしまうことについてこの辺りで意見があり、では全部「の」を入れようではないかということになる。『アリババと四十人の盗賊』では、盗賊がドアに目印をつけたことに気づいた召使いのモルギアナが、街のすべてのドアに目印をつけ、それにより盗賊はどの家だか分からなくなった。それにあやかり瑕疵を全部の句に施し、分からなくしてしまおうという狙いであり、この座では戯れに「モルギアナ方式」と呼んでいる。
記憶にはなきかりがねのこゑ こ
ウ 針飛びの華麗なる大円舞曲 り
初折裏折立である。ここから名残表折端までの二十四句はあばれどころとなる。前句「記憶にはなき」に対し、記憶にあるものとして「華麗なる大円舞曲」を聴いていたら針が飛んだことにした。三句続いた秋を離れている。
ウ 針飛びの華麗なる大円舞曲 り
目薬を買ふ仲のおいらん 貴
前句の聴覚情報に対し、視覚になにか問題があることをほのめかしている。ここから恋の句である。
目薬を買ふ仲のおいらん 貴
三畳にレースの下着吊るされて 庵
花魁とは名ばかりの娼婦のヒモの視線なのだろうか。せまい部屋に無造作に下着が干されている。なかなか凄惨である。
三畳にレースの下着吊るされて 庵
紙袋よりサボテンの棘 な
プレゼントなのだろうか。紙袋よりサボテンの棘が覗いている。
紙袋よりサボテンの棘 な
祝と呪の右は同じと囁かれ こ
このあたりまでが恋。ちょっとした行き違いで破局に向かう。漢字での遊びとなっている。前句「サボテン」が夏の季語なので、夏の月を出すとすればこのあたりだが、発句が「寒月」なので夏の月は出さないものとした。
祝と呪の右は同じと囁かれ こ
火星人めく妹の脚 り
「祝」と「呪」の右である「兄」は妙に脚が長いので「火星人めく」としたが、そのままでは面白くないので「妹」とした。火星人の兄の妹はやはり火星人だろう。
火星人めく妹の脚 り
赤貝の紐に塗り箸先細き 貴
「火星人めく」から「赤貝の紐」が導かれている。赤貝は春の季語。
赤貝の紐に塗り箸先細き 貴
一息に飲むタンポポの酒 庵
春が出たので春の句を三句以上続ける必要があるが、花の座まではだいぶあるので素春(=花の座を含まない春)とすることとし、逆に花の座を意識すると使いにくいものとして「タンポポ」とした。なお、レイ・ブラッドベリの読者であれば『たんぽぽのお酒』に気づき、『火星年代記』があるから打越ではないかと言うであろうが、世の中ブラッドベリの読者ばかりではないのでよしとした。
一息に飲むタンポポの酒 庵
山羊の毛と羊の毛刈る少年の な
『たんぽぽのお酒』から「少年」が導かれているのであろうが、長句全体を使って主語にしかなっていない遣り句である。三十六句の中にはそういう句もありだろう。春の句はここまで。
山羊の毛と羊の毛刈る少年の な
影の大きく伸びる夕さり こ
前句の主語を用い、日の傾いた印象的な景としている。「夕さり」という古いことばが効いている。
影の大きく伸びる夕さり こ
燭の火の揺れて花嫁しづしづと り
初折裏折端前は花の座であるが、すでに春ではないので「花」の字のみを用い「花嫁」とした。前句「影の大きく伸びる」の手前に光源である「燭の火」を配している。
燭の火の揺れて花嫁しづしづと り
涼しき縁に書きかけの経 貴
前句のある種おどろおどろしい景を離れ、涼しげに転じている。
涼しき縁に書きかけの経 貴
ナオ 薩摩琵琶さらふ念者のにほひたつ 庵
名残表折立である。あばれどころはまだまだ続く。「念者」は男色の関係で、若衆を寵愛する側の人。「涼しき」が弟分で、「にほひたつ」のが兄分ということだろう。ここから衆道の恋。
ナオ 薩摩琵琶さらふ念者のにほひたつ 庵
ほどきし帯の柄の逆しま な
ほどいた帯の乱れたさまを詠んでいる。
ほどきし帯の柄の逆しま な
くちびるへ人差し指のやはらかく こ
他言無用ということだろう。ここまでが恋。
くちびるへ人差し指のやはらかく こ
スクイズせよのサイン見落とす り
前句を野球のサインだととりなしている。
スクイズせよのサイン見落とす り
ステージに残されてゐる銀の靴 貴
大失態を並べ転じている。
ステージに残されてゐる銀の靴 貴
馬賊が走る満州の原 庵
銀の靴の主を略奪したのだろうか。このあたり、あばれどころだけにあわただしく場面を転じる。
馬賊が走る満州の原 庵
降るたびに雪の礫を作りたる な
初折裏折端以来ずっと無季であったが、ここで冬としている。
降るたびに雪の礫を作りたる な
いろはにほへと乳の溢れて こ
雪の白から「色は匂へど」が導かれ、言葉遊びは「ち」までまたがる。乳母に養育を託され乳が止まらない高貴な女性だろうか。
いろはにほへと乳の溢れて こ
干草を飛び越え犬の胴長し り
前句「乳の溢れて」は牛かなにかのようである。飼料の干草を犬が飛び越えている。
干草を飛び越え犬の胴長し り
野分吹き過ぎ静寂の街 貴
前句「飛び越え」は跳躍ではなく吹き飛ばされていたようである。月の座の前で秋としている。
野分吹き過ぎ静寂の街 貴
月光の石畳踏みゆく軍靴 庵
静寂を打ち破り軍靴の足音が響く。「月光」「石畳」「軍靴」と硬質なものを配している。
月光の石畳踏みゆく軍靴 庵
案山子の服に岩波文庫 な
「遺品あり岩波文庫『阿部一族』 鈴木六林男」を踏まえたものだろうか。しかしながら「案山子の服に」は論理を超えた飛躍がある。
案山子の服に岩波文庫 な
ナウ 窓際の席と決めたる日曜日 こ
名残裏折立である。ここからは節度をわきまえ進行する。喫茶店だろうか。前句の「岩波文庫」を読むのだろう。
ナウ 窓際の席と決めたる日曜日 こ
つぎつぎ開くゆふぐれの傘 り
折しも窓の外では雨が降り出し、通行人の傘が次々開く。
つぎつぎ開くゆふぐれの傘 り
長靴の五歳にもどる夢を見て 貴
前句を夢の中のできごととして、五歳の自分とした。
長靴の五歳にもどる夢を見て 貴
テレビ画面に魔女の鉤鼻 庵
五歳が観るようなアニメだろう。ディズニーの『白雪姫』の魔女あたりか。
テレビ画面に魔女の鉤鼻 庵
千年の花の間近にパイプ椅子 な
花の座である。こう付けると前句の魔女が千年以上の長寿で、魔法により千年間桜を咲かせ続けたような気がしてくる。もうよぼよぼなので、魔法をかけるときはパイプ椅子を出してくるのである。
千年の花の間近にパイプ椅子 な
春たけなはの宴のはじまり こ
キャパシティ以上に人が集まりパイプ椅子を出しての宴が始まる。めでたい景で挙句としている。
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