2011年1月31日月曜日

きざし3

あはゆきのほどける音やNHK     宮本佳世乃
菜の花の半分枯れて家族かな      宮本佳世乃
空港や中学生の壊れぬ虹        宮本佳世乃


 二物衝撃は、多くの場合、季語を含まない長いワンフレーズと季語を取り合わせる(便宜上、A型と呼ぶ)。が、宮本佳世乃はそうでないパターンにも挑戦している。すなわち、季語を含む長いワンフレーズと、(季語ではない)関係の薄い語との取り合わせである(便宜上、B型と呼ぶ)。多くの場合A型であるのは、文芸の伝統を背負った季語が象徴性を持ち得るからである。例えば、「菊の香や奈良には古き仏たち 芭蕉」であれば、「菊の香」は「奈良の古い仏たち」を象徴している。
 さて、掲出句はいずれもB型である。この場合、季語でない「NHK」「家族」「空港」は、象徴性を持ち、季語を含む長いワンフレーズと等価に釣り合うことができるのか。

あはゆきのほどける音やNHK     宮本佳世乃

 淡雪のほどける音など現実には耳にすることはできないのかも知れない。あたかもハイビジョンを駆使して制作された放送作品であるかのような、現実と虚構のはざまで、いま作者の感性が研ぎ澄まされている。仮に「あはゆきのほどける音やフジテレビ」だったら、こんな読みは成り立たない。ということは「NHK」は象徴としてじゅうぶん機能しているといえよう。
 
菜の花の半分枯れて家族かな      宮本佳世乃

 この家族のイメージは切ない。でも多かれ少なかれ、家族というのは内側から見るとそんなところがあるのではないか。近くで見ると半分は枯れていてがっかりさせられることもあるけど、ちょっと離れてみればまだまだ鮮やかな黄色で力を与えられるのだ。「家族かな」に万感の思いがある。この場合、「家族」が季語を含む長いワンフレーズを象徴しているかというと、どうも違うようである。B型ではあるが、A型のように季語の方が象徴の機能を負っているようである。

空港や中学生の壊れぬ虹        宮本佳世乃

 「中学生の壊れぬ虹」というワンフレーズがすでにそれ自体が詩であり、単純に意味的な解決を求めることはできない。はかない本来壊れゆくべきものを、あり余る青春のエネルギーで暴力的に守り抜いたような奇妙な味わいがある。それと「空港」を取り合わせているのである。これは深い。そう言われてみれば、「空港」とはそういう奇妙な空間のような気がしてくる。万人に受け入れられるかどうかは分からないが、この説明しきれない意味的な壊れ具合にこそ、B型の存在理由があるような気さえする。佳世乃ワールドは、そのような奇妙な空間を内包しつつ、膨張し続けているのである。

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