『炎環新鋭叢書シリーズ5 きざし』(ふらんす堂)、続いては近恵さん。
いつつより先は数へず春の波 近恵
どこぞの未開民族は数を表す語を5までしか持たずそこから先は「たくさん」という意味の語しかない、というのを、まことしやかに聞いたことがある。怪しげな都市伝説のひとつなのかも知れないが、おそらくは作者も日常の煩わしさを切り捨て、その伝説に一口乗ろうとしているに違いない。「数へず」にどこか鬱屈があるのである。「春の波」ののどかさに救いを求める気分が感じられる。
かぎろへる角を曲がりて消えにけり 近恵
なにが消えたのかは明示されていない。追っていたものが陽炎のゆらめきの中で消失したのである。「かぎろへる」「角」「消え」「けり」と強調されたK音に、複雑な光の屈折を感じる。
旅支度終へて真黒きバナナかな 近恵
旅を終えて帰宅した頃にはもう食べられないであろう困ったものが、妖怪のようにそこに存在する。意を決して食したであろうことは言を俟たない。ついでながら「一房の一気に黒くなるバナナ」という句もあり、作者の嗜好が偲ばれる。
ぐんにやりとおぶられてをり祭髪 近恵
高円寺の阿波踊りだろうか。出番を待つ連の若い母親に背負われてぐったりとした幼児と、威勢のよい祭髪との対比がよい。
とろろ擂る大脳の皺伸びるまで 近恵
馬鹿みたいに一心にとろろを擂るさまを「大脳の皺伸びるまで」と形容した。こう詠まれると、ほんとにどんどん馬鹿になるようである。
褞袍よりひとの匂ひのして重し 近恵
冬着というものは、自分で着ている分にはあまり感じないが、脱いだものを掛けたりしようとするとその重さに驚かされる。ましてや褞袍である。生活臭がずしりと染み込んでいるのである。とはいえ「ひとの匂ひ」という言い回しに、伴侶への思いが感じられる。
初春や皺一つなく張るラップ 近恵
おせち料理の残りの重箱にラップを張ると四角なので「皺一つなく張る」の快感がある。皿に盛った料理に張るラップは、起伏があるのでこの快感が得られない。してみると、これはまさしく正月の快感なのである。「初春」「張る」と二度「はる」が現れるところもおめでたい。
白鳥の着水見ゆる西病棟 近恵
まさに「人間万事塞翁が馬」である。このような豪華なものを見ることができるのであれば、病院も悪いものではない。
桜の芽赤し地下鉄車両基地 近恵
今日大抵の地下鉄は相互乗り入れになってしまったが、昔からある銀座線や丸ノ内線は専用軌道なので地下鉄車両基地というものが存在する。とりわけ丸ノ内線は起伏に富んだ地形を走行しているので地上区間が多く、地上に地下鉄車両基地が実在し、あの独特な赤い車両のたまり場となっている。そこに折しも桜の芽が赤を競うようにふくらんでいるのである。これは東京ローカルな感慨かも知れない。
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