広渡敬雄氏の第一句集『遠賀川』(ふらんす堂。1999年)。実感に根ざした写生句と、当たり前のことを詠んでいるのにそこはかとなく可笑しいたくみな人事句と、鮮やかな視点の転換を感じさせる句がバランスよく混ざった句集である。
写生句ではこのような句群。
粧へる山に打ち込む鐘ひとつ 広渡敬雄
白樺の初明りまた雪明り
霧抜けてバスおもむろにライト消す
瓦葺く人立ち上がる薄暑かな
急流を鮎師は腿で押しかへす
寒鰤の氷咥へて糶られけり
びつしりと隠岐の天日に鰯干す
雪を得て名もなき山のゆるぎなし
藤寺の二軒となりに藤の花
通夜の灯のわづかに届く燕の巣
滝行者乳首尖らせ戻りけり
悴みて登頂時刻のみ記せり
鰤網や海の力をたぐりつつ
モノレールの下に空あり初燕
「鮎師」「鰤網」の句に感じられる身体感覚に説得力を感じる。「初燕」の句の大胆な構図もすてきである。
人事句はこのような句群。
登高やなほ高き峰子に示し
扇風機売場の風の定まらず
機内灯消して真下の大文字
幕引の踝見えて里神楽
棟上の梯子かけたるまま朧
マネキンの腕を外して更衣
残業の一人となりて灯をふやす
梅林に一人で入りて逢瀬めく
隠岐牛も乗り込むフェリー秋麗ら
輪飾を掛けて閉ぢたる大金庫
門松を撫でて巡査の帰りけり
松とれて銀行らしくなりにけり
雪焼の支店次長の訓示かな
マフラーを巻いて黒髪払ひけり
菊人形着替へ半ばで寝かさるる
透明な手提の中に水着かな
学帽の徽章の雪のまづ融けぬ
芍薬や帯直しあふあねいもと
どの句もユーモラスにして人間の生活が見えてくるようである。
次のような句はどうだろう。
赤ん坊を重(おもし)としたり花筵
鰺干して海を明るくしてゐたり
恋を得て猫なで声を忘れけり
峰雲を生み出して海疲れたり
「赤ん坊」も「鰺」も本来、そんな役割は担っていない。それをこのように捉えるところに俳人としての視点の冴えを感じる。恋猫の句と峰雲の句は人によって反応が分かれるかも知れない。面白すぎという人もいようが、私は好き。
0 件のコメント:
コメントを投稿