2019年3月15日金曜日

七吟歌仙 溜め池の巻 評釈

   溜め池に立つや大波春嵐       由良

 発句は歌人の由良さんから頂いた。プロパーな俳人ならこの位置に「や」を置くことはないだろう仕上がりとなっていて面白い。俳人であれば、切れは一箇所というセオリーでまず「溜め池に大波立つや春嵐」とすると思うが、「溜め池に立つや」で何が立ったのだと読者に思わせつつ、一気に「大波」「春嵐」と畳みかけたことにより、「大波」のインパクトが強くより印象的になっている。
 
   溜め池に立つや大波春嵐       由良
    落つる椿の地になせる円     ゆかり

 脇は春の嵐で落ちた椿が土の上で円をなしているさまを詠んだ。椿は花びらが散るのではなく、花のかたまりごと落ちるので、落ちたあと飛散することがない。「落つる」とはいうものの、発句の動に対し静のイメージで脇としている。

    落つる椿の地になせる円     ゆかり
   雛の客シャネルスーツを着こなして  由季

 第三は発句と脇の挨拶から離れ、連句としての展開の始まりとなる。ここでは発句と脇が叙景に徹していたのに対し、おしゃれな人物を描いている。  

   雛の客シャネルスーツを着こなして  由季
    柔軟剤は日なたのかをり       槐

 おしゃれな人物に対して柔軟剤の香りを指摘するのは実社会では底意地が悪いかも知れないが、そこは俳諧。冷徹な描写である。槐さんは歌人にして俳人。

    柔軟剤は日なたのかをり       槐
   名月を誤答と思ふ押しボタン     大祐

 月の座は柳人の大祐さん。前句をCMと見立てたものか、クイズ番組の設定で付けている。相手が俳人だったら「月の座っていうのは月を愛でるものです、もう一句どうぞ」と言うところだが、そんなことを言ったらわざわざ柳人をお呼びした意味がないので、ここは頂くしかない。表六句にしては面白すぎる展開である。

   名月を誤答と思ふ押しボタン     大祐
    道に迷ひし白帝の夜       けんじ

 陰陽五行説で秋は白を配することから、白帝は秋を司る神。前句で「誤答」と言われた神がうろたえて、道に迷っているのだ。

    道に迷ひし白帝の夜       けんじ
ウ  異土晴れて八万人の阿波踊り     ぐみ

 初折裏である。本来ここからが暴れどころであるが、表六句の月の座あたりから自在な発想による丁々発止は始まっている。道に迷った白帝はなんと外つ国に至ってしまった。八万人が街をあげて踊り狂っている。リオのカーニバルのようでもある。月の座からここまでが秋の句である。

ウ  異土晴れて八万人の阿波踊り     ぐみ
    ロベスピエールの目をした男     良

 wikipediaによればロベスピエールはフランス革命期の政治家にして、史上初のテロリスト(恐怖政治家)・代表的な革命指導者で、国民公会からジロンド派を追放し権力を掌握すると、公安委員会、保安委員会、革命裁判所などの機関を通して恐怖政治を断行し反対派をギロチン台に送った、とある。そんな男が無慈悲な目で八万人の阿波踊りの狂躁を見つめているのである。みごとな転じである。

    ロベスピエールの目をした男     良
   雨漏りの盥の音が遠くなる       り

 そんな男に見つめられていると、現実が現実でないような気がして音が遠ざかって行く。

   雨漏りの盥の音が遠くなる       り
    惚れ薬かもしれぬ梅雨茸       季

 折しも梅雨で、妖しげなきのこが生えている。その外観はなんとも淫靡で惚れ薬かもしれぬと妄想する。

    惚れ薬かもしれぬ梅雨茸       季
   こひびとよ冷えピタの貼り方が雑    槐

 恋仲となったが、その相手は何につけ雑な性格なのだった。

   こひびとよ冷えピタの貼り方が雑    槐
    高校生の髷を切るのみ        祐

 雑な性格の人物の生業は体育教師かなにかで、校則違反の髷を容赦なく切る。

    高校生の髷を切るのみ        祐
   校庭にサッカーボール忘れられ     じ

 断ち切れぬ思いの象徴として、サッカーボールを配している。余談ながらエイゼンシュタインなどによる映画のモンタージュ手法は、俳諧の付け合いと同じだということがしばしば指摘されている。

   校庭にサッカーボール忘れられ     じ
    笛を吹くのは繊き寒月        み

 歌仙構成のなかで二花三月ということばがあり、花の座を二回、月の座を三回置きそれぞれ花と月を愛でるものとされている。表六句の月の座がクイズ番組仕立てとなってしまったので、ここでは旧来の情趣としている。ただし前句が「サッカーボール」なので周到に丸い月は避け「繊き寒月」としている。

    笛を吹くのは繊き寒月        み
   虎に似て二尺足らずの猫を抱く     良

 さらに虎を配せば旧来の情趣に付き過ぎとなるところ、猫としているところに諧謔がある。

   虎に似て二尺足らずの猫を抱く     良
    濡れ縁といふゆふべの湿り      り

 ずっと人が出ているので、遣り句として空間に転じた。遣り句とは、その一句にあまり意味を持たせず先送りにする方法である。

    濡れ縁といふゆふべの湿り      り
   借景の吉野山より花吹雪        季

 花の座はそんな縁側から見えるものとして借景の吉野山を詠んだ。ここから春の句が続く。

   借景の吉野山より花吹雪        季
    をみなとをみなふらここを漕ぐ    槐

 前句の遠景に対し、近景を配している。女同士がブランコを漕いでいる。「をなご」ではなく「をみな」であるところにただならぬ気配がある。

    をみなとをみなふらここを漕ぐ    槐
ナオ 鈍器群ボートレースに撒かれつつ    祐

 前句のただならぬ気配を事件に展開している。前句「漕ぐ」に対し「ボートレース」でいいのかが気にならなくもないが、今日のボートレースは手こぎではなくモーターボートなのでよしとした。

ナオ 鈍器群ボートレースに撒かれつつ    祐
    デカの直感ホシは老人        じ

 テレビドラマでおなじみの符牒「デカ」「ホシ」で付けている。

    デカの直感ホシは老人        じ
   地球とて宇宙に光る青き点       み

 直接的には前句「ホシ」から導かれて「地球」なのかも知れないが、事件など宇宙全体から見れば些細なことなのだという悟りにも似た転じが面白い。

   地球とて宇宙に光る青き点       み
    蚤ひねりつつ面壁三年        良

 悟りに至るまでの、蚤に思惟を乱されつつの修行の日々である。

    蚤ひねりつつ面壁三年        良
   泥団子切つて食みたる石のうへ     り

 「石の上にも三年」をもじり、ままごとの俎とした。

   泥団子切つて食みたる石のうへ     り
    子役の台詞たつたひとこと      季

 それをドラマの中のできごととした。

    子役の台詞たつたひとこと      季
   ラジオ置く張り出し窓の冬ざるる    槐

 それをラジオドラマとし、放送を聞く生活空間とした。その子役の出番を心待ちにしている祖母あたりの家かも知れない。

   ラジオ置く張り出し窓の冬ざるる    槐
    象徴界を銀世界へと         祐

 ラジオで伝えられる音声はときに、視覚情報を伴うテレビよりもはるかに多くのメッセージを聞き手の心に訴える。いまどんな視覚情報よりも鮮やかな銀世界が展開されて行く。まさに柳人ならではの付け味である。

    象徴界を銀世界へと         祐
   乗換の小さき駅の屋根長く       じ

 広がりを持った「銀世界」から、具体的な景に置き換えられるこの付け具合は、川柳の世界から俳句の世界への乗り換えのようでさえある。ここまでの三句の渡りは、この巻のなかの最大の見せ場だろう。

   乗換の小さき駅の屋根長く       じ
    健さんに似し夜学生ゐて       み

 前句「駅」から「健さん」が導かれているが、そのものではなくそれに似た夜学生としている。ここから秋の句が続く。

    健さんに似し夜学生ゐて       み
   照らしあふ名残の月とわれの顔     良

 月の座であるが、初折で曲がりなりにも「名月」が出ているので、ここでは旧暦九月十三日の「名残の月」としている。この「われ」は「健さんに似し夜学生」なのだろうか。名残の月と「照らしあふ」と言っているのだから、スターばりの風貌なのだろう。

   照らしあふ名残の月とわれの顔     良
    下り簗には水の音ばかり       り

 またしても人物が続いたので、景に転じた。前句の光に対し、音を配している。

    下り簗には水の音ばかり       り
ナウ 土手に飼ふ除草のための山羊二頭    季

 名残裏である。暴れどころはこれまでとし挙句に向かう。前句とはあまり関係ない叙景の句で、居住まいを正している。

ナウ 土手に飼ふ除草のための山羊二頭    季
    右の乳房の入れ墨の赤        槐

 居住まいを正したはずであったが、また妖しげな句が付けられた。山羊の乳の白からの発想ではあろうが、入れ墨といえば人間の乳房だろう。あるいは山羊の図柄のタトゥーなのかも知れない。

    右の乳房の入れ墨の赤        槐
   恋人の肉よ機械になり給へ       祐

 しかも名残の裏で恋なのか。「恋人よ」ではなく「恋人の肉よ」であるところが、なんとも非人情で極悪である。

   恋人の肉よ機械になり給へ       祐
    次々消える魔界よりこゑ       じ

 「次々消える魔界」がなにかのロールプレーイングゲームみたいでじつによい。事態は一気に解決に向かい、断末魔の叫びが聞こえるようである。

    次々消える魔界よりこゑ       じ
   天地の笑みの広ごる花盛り       み

 前句の機転によりピースフルな花の座を迎えられた。

   天地の笑みの広ごる花盛り       み
    旅の果たての沖霞みたり       良

 挙句である。「果たて」という古語がいかにも即物的叙景派歌人の由良さんならではである。

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