今回、捌いている最中に句またがりについてと、一句の中の二物衝撃的切れについてはあまりつべこべ言わなかった。それでよかったのか、よくなかったのか、まだ分からない。
ゆふぐれに花の点るや彼岸寺 苑を
普通にみれば、いろいろな意味で突っ込みどころのある句である。花の座というものがある連句の発句として「花」を出すこと、神祇釈教は避ける表六句において「寺」を出すこと、「花」と「彼岸」が季重なりであること、その「彼岸」と「寺」を結合し「彼岸寺」という造語としたこと…。だが、当事者にしてみれば差替不能な万感の句なのだろう。発句は当季で詠むものだが、寺が作者の生活空間であることを知れば、どっと押し寄せるお彼岸の墓参客が一段落した夕暮れが格別なものであることが理解できるはずだ。特殊な多忙状況を凝縮して「彼岸寺」とし、その対極をひらがなで「ゆふぐれ」とゆったり描いたのはじつに適切だし、昼間から咲いていたかも知れないのだが、そのような「ゆふぐれ」だから気づくことができた開花なのだ。ついでにいうと「点る」は苑をさんの句集のタイトルでもある。いわば特別がここに集まった発句なのである。
ゆふぐれに花の点るや彼岸寺 苑を
亀鳴くこゑと豆腐屋の笛 ゆかり
脇はそんなゆふぐれの彼岸寺に音声情報を添え挨拶とした。結界の内側としての「亀鳴くこゑ」と結界の外側としての「豆腐屋の笛」である。
亀鳴くこゑと豆腐屋の笛 ゆかり
風船は水玉模様おほきくて りゑ
第三は発句と脇の挨拶から離れ、連句としての展開の始まりとなる。なんとも大らかで明るい景を感じるが、水玉模様の風船を現実に見たことはないような気がする。ここまでが春。
風船は水玉模様おほきくて りゑ
背丈の順の列を見送る 霞
遠足だろうか、入学式だろうか。学年で束ねられてもまだ成長の差が著しい園児もしくは低学年の学童を思い浮かべる。
背丈の順の列を見送る 霞
乗り過ごすことなく浴びる月明り なな
「乗り過ごす/ことなく浴びる/月明り」で五七五だが、意味の切れ目は「乗り過ごすことなく/浴びる月明り」だし「乗り過ごすこと」の七音で切れるようにも錯視するので、これまではこの手の句は駄目出ししていたような気がする。乗り過ごすことなく月明りを浴びているのは見送った方の大人だろうか。なお、打越は「風船は水玉模様」と丸いものであるが、「月明り」とすることによりかたちを意識させず打越に障ることを回避している。
乗り過ごすことなく浴びる月明り なな
パチンコ屋からつづく穭田 令
うっかり乗り過ごすこともなく下車して月明を浴びているのは、今どきの田園風景の中なのだろう。水田を売り払ってできたパチンコ屋に隣接してまだ残る田が折しも穭田となっている。
パチンコ屋からつづく穭田 令
ウ いちやう散る健忘症と言はれたる 知昭
月の座からここまでが秋の句で、ここから初折裏であばれどころとなる。この句は俳句として見れば「いちやう散る/健忘症と言はれたる」という切れを持つ二物衝撃の句であるが、連句なので全体をひとつとして捉え、前句との付け具合を味わう必要がある。パチンコの玉がじゃんじゃんばりばり奈落に落ちるように、眼前では銀杏の葉が散り、私の脳内では記憶が欠落して行く、というさまか。あばれどころの幕開けはなかなか自虐的である。
いちやう散る健忘症と言はれたる 知昭
ふいに目覚めて問ふ君の名は を
前句「健忘症」に対し「君の名は」で付けている。ここから恋の座。目覚めるととなりに知らない異性が寝ているというよくあるパターンは何が発祥なのだろう。
ふいに目覚めて問ふ君の名は を
解読はできないけれどたぶん愛 り
外国人もしくは地球外生物という設定で付けている。「たぶん愛」は「愛の水中花」の歌詞の一節。これを巻いていた頃はまだ連続テレビ小説『まんぷく』を放映中で、毎日のように松坂慶子を観ていた。
解読はできないけれどたぶん愛 り
バニーガールの星撃つ仕草 ゑ
「愛の水中花」から直球で「バニーガール」としている。ここまでが恋の座。
バニーガールの星撃つ仕草 ゑ
雲いくつ海を渡りて海に住む 霞
「いくつ」に対する解決として句尾に「のだろうか」が省略されたかたちとなっている。バニーガールの流転の身の上を思う。
雲いくつ海を渡りて海に住む 霞
新元号の国の赤色 な
この日、新元号が発表された。地球儀で日本は赤い。
新元号の国の赤色 な
梅干の三晩を月もまもりたる 令
奇しくも令和の令の字の令さんが付けている。「梅花の宴」を踏まえつつ、花の座に障らぬように梅干とした周到にして諧謔的な付け句で、夏の月としている。
梅干の三晩を月もまもりたる 令
やうやく涙拭ふ門番 昭
月とともに梅干を守っていた門番が泣いている。過酷な任務だったのだろう。
やうやく涙拭ふ門番 昭
水温む日を貝になるポーズして を
前句の「涙」から「水温む」が導かれている。花の座を前にここから春の句が続く。
水温む日を貝になるポーズして を
佐保姫と組む午後の道場 り
「貝になるポーズ」からヨガ道場という設定とした。佐保姫と組んでエクササイズをしたら不老不死になりそうな気がする。
佐保姫と組む午後の道場 り
自転車に花巻産の葱坊主 ゑ
道場には自転車で通っているのである。花の座であるが、発句ですでに花が出ていたので、ここは「花」の字だけでやり過ごし、「葱坊主」で春の句としている。ちなみに私は挑戦したことはないが、葱坊主は天ぷらや塩炒めにして食べられるらしい。
自転車に花巻産の葱坊主 ゑ
お辞儀の角度猫に合はせる 霞
道端でよく挨拶する猫なのだろう。
お辞儀の角度猫に合はせる 霞
ナオ 福助の五臓六腑をからからと な
「五臓六腑」などというからには、この「福助」は焼酎の銘柄だろう。酔いが回り、お辞儀のような姿勢になっているのだ。
福助の五臓六腑をからからと な
右と左で違ふ靴下 令
「福助」から「靴下」が導かれている。それだけでなく「五臓六腑」と「右と左で違ふ」がいい感じで響き合っている。
右と左で違ふ靴下 令
まなじりのひつかき傷は新しく 昭
前句をよほど慌てたものと読んでいる。
まなじりのひつかき傷は新しく 昭
地平線までヌーの大群 を
前句を狩猟の現場と捉え、大景に転じている。「ヌー」はアフリカ大陸南部に生息する牛の仲間。
地平線までヌーの大群 を
打楽器の複合リズム高まつて り
アフリカ音楽の祝祭的なポリリズムの高揚で付けている。
打楽器の複合リズム高まつて り
炎立ちたる前頭前野 ゑ
七音の中に「ぜん」「ぜん」と畳み掛け、音韻的に前句を実現しようとしている。ちなみに「前頭前野」とは脳の中の記憶や学習と深く関連する部位らしい。
炎立ちたる前頭前野 ゑ
ふたりして背伸びをすれば桃青忌 霞
「炎立ちたる」に対し「背伸びをすれば」で付けている。桃青忌は芭蕉の忌日で旧暦十月十二日。時雨忌とも言い、前句に対しうまい具合に火消しとなっている。「ふたりして」って、まさか「まえがしら」さんと「まえの」さん?
ふたりして背伸びをすれば桃青忌 霞
ウヰスキー飲みおほせて洩らす な
『去来抄』にある芭蕉の「いひおほせて何かある」を踏まえている。ウイスキーを飲み尽くして初めて明かすこころの秘密とはどんなものだろう。
ウヰスキー飲みおほせて洩らす な
養生のベストセラーとなりし本 令
前句の身を破滅しかねない心の闇には触れず、健康路線に転じている。この転じ具合そのものが、人生のヒントのようでさえある。
養生のベストセラーとなりし本 令
うなづいてまたうなづく良夜 昭
繰り上げて月の座となっている。月明下、養生本にいちいち納得している。ここから秋の句が続く。
うなづいてまたうなづく良夜 昭
紅葉山むかし海だとタモリ云ひ を
これは「ブラタモリ」の嵐山の回だろうか。かの絶景が断層によってできたとし、プランクトンである放散虫の化石が出土することをタモリが解説し、そのいちいちに視聴者はうなづいたのだった。
紅葉山むかし海だとタモリ云ひ を
川の名変はる露寒の橋 り
「渡月橋」と名を出してしまっては打越に障るので、「露寒の橋」としている。渡月橋を境にその上流は大堰川であり、その下流は桂川である。
川の名変はる露寒の橋 り
ナウ 吃音のラジオドラマの主人公 ゑ
前句「川の名変はる」が内包する「かわ」「かわ」が呼び起こしたものか、「吃音」で仕立てている。検索すると実際に吃音者が主人公のラジオドラマが存在したようだが、それに限定する必要はないだろう。ここから名残裏。
吃音のラジオドラマの主人公 ゑ
微笑む母の通夜は忙し 霞
これは気持ちを封印して乗り切ろうとしている故人の母なのだろうか、それとも母が故人で遺影が微笑んでいるのだろうか。「ホホ」「ハハ」という吃音に似た響きによって前句とつながっていて、通夜という時間と空間は現実でありドラマでもある。
微笑む母の通夜は忙し 霞
間違へて領収済の判を押す な
体験したことのないことが続くのだから、そういうこともあるだろう。
間違へて領収済の判を押す な
金平糖をぽとり雪間に 令
そしてそんなふうに我に返るのだろう。「雪間」は春の季語で、降り積んだ雪が春になってところどころ解けて消えた隙間のこと。前句で間違えたのはお金であろうが、「金」つながりで「金平糖」というどうでもいいものを出して意表をついている。みごとな転じである。
金平糖をぽとり雪間に 令
明らかに象の足音飛花落花 昭
前句の「金平糖をぽとり」を心象風景に重ねているのだろう。「蝶墜ちて大音響の結氷期 富澤赤黄男」のイマジネーションの飛躍がどこか頭の片隅にあったのかも知れない。風が立ち、いちめん飛花落花となる。
明らかに象の足音飛花落花 昭
産毛を春の風は濡らして を
「飛花落花」を受けて「春の風」としている。花と寺を詠んだ尋常ならざる発句に対し、挙句は生命感にあふれるものを詠みつつ「て止め」で余情を残し折り合いをつけている。
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