では3回目です。
Ⅰ レトリックの誘惑
3 違犯の関係が価値にかかわる
北川透は書きます。(p.030)
(前略)
それに比して、詩的レトリックは、それがどこまで意識されるかどうかは別にしても、慣習化されたことばの在り方に対する違犯の関係に置
かれる。それは発信者が受信者に対して《意表に出ようとする技術》や《驚かす戦術》ではないにしても、その違犯の関係が、読者を挑撥したり、誘惑したりす
ることはたしかだ。そうでなければ、なんらかの理由で、ことさら意味(思想)の流れを拒んだり、切断したり、ずらしたりしている詩作品に、読者が魅き寄せ
られることはない。詩的レトリックは、日常的、慣習的な語法や文脈に違犯の関係をつくりだすことで、おいしいことばになっている。ただ空腹が満たされれば
いいというのが意味の関係であるとすれば、おいしいというのは、価値の関係である。違犯は、言語の価値にかかわっている。
さて、ではひるがえって目を俳句に転じた時、私たちは知らず知らずに俳句にとって日常的、慣習的な語法や文脈の世界に甘んじてはいなかったでしょうか。
極論を言えば、季語とか切れとかの制度のもとに、私たちは工業製品のように俳句のようなものを生産しているだけなのではないのでしょうか。とはいえ、私た
ちは真にすぐれた俳句から数多くの違犯を読み取ってきたことも事実です。
今回の出題です。
【俳句にとって日常的、慣習的な語法や文脈の世界の俳句】(3~5句くらい)
【違犯の俳句】(3~5句くらい)
投句締切:5月19日(土)24:00(JST)
投句宛先:yukari3434 のあとにアットマークと gmail.com
★整理の都合上、俳句の行には俳句以外の題とか記号とか俳号とか本名とかを書かず左詰で列挙願います。
今回の書式の例
【俳句にとって日常的、慣習的な語法や文脈の世界の俳句】
はつなつの日常的な俳句かな
まつたくの慣習的な五月闇
麦秋の慣習的な語法かな
【違犯の俳句】
はつなつの違犯はじつにむづかしい
まつたくの違犯だらけの五月闇
麦秋の取締りたる違犯かな
よろしくどうぞ。
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