2013年1月26日土曜日

ホーム・スウィート・ホーム3

 こうした虚像・複写・多数への嗜好を目の当たりにすると、2009年から2010年くらいの時期に山田露結さんが俳句自動生成ロボットの開発に注力し、ネット上で「一色悪水」「裏悪水」という二体の秀逸なロボットを公開していた事実が、にわかに腑に落ちるもののように感じられてきます。すでに露結さんは公開をやめているので、掘り返すのは差し控えますが、芝不器男俳句新人賞にロボットの作品で応募したというまことしやかなデマも今となれば楽しい思い出です。

 さて、人間としての露結さんの話に戻ります。 人間としての露結さんは、虚像・複写・多数への嗜好に関係あるのかないのか、リフレインの技巧を駆使した句をものにしています。

昼の灯の夜の灯となる桃の花    山田露結
遅き日の亀をはみだす亀の首
春光や鴎の中をゆくかもめ
ひまはりの葉に向日葵の影を置く
月の裏も月母の背(そびら)も
掛けてある妻のコートや妻のごとし
吐くときも吸ふときも息冬の蝶


 ことに次のような、語の一部をリフレインする句。

裏町に裏のにほひのして遅日    山田露結
水に棲むものに水圧養花天
人類にして類想のあたたかし
星宿や西瓜は種を宿しつつ


 これらの句には独特の陰影を感じます。









0 件のコメント:

コメントを投稿