「雑」の章は十四句からなる。有季にこだわって捨てることがはばかられた句群なのだろう。この章では、「冬」や「春」の章に比べると、前後の句の響き合いにもより強く考慮しているようである。前の句のイメージを引き取ったり、前の句との同字反復をしたりを、連句とは違うマナーで行っている。
星々のあひひかれあふ力の弧 生駒大祐
万有引力や惑星の軌道に関する科学的な知識が、句のことばに昇華されている。なるほど、ここに季を加えたら余分な感傷が生じてしまうだろう。先に句の配列について触れたが、ここで作者は配列の妙味により、句と句のあわいに余分な感傷をあからさまではなく配置しているようにも思える。この句に後続する四句から語を拾うと「君」「友」「恋愛」「恋」と続くが、例えば「恋愛」の句は「在ることの不思議を欅恋愛す」であって、人間の感傷とは様相を異にする。
西国の人とまた会ふ水のあと
極めて抑制された書き方であるが、「水のあと」が喚起するのは津波もしくは水害の傷跡である。そして、この句に続くのは「鉄は鉄幾たび夜が白むとも」である。この鉄は廃墟かもしれないし、武器かもしれないが、句としてはまたしても極めて抑制された書き方で「鉄は鉄」だとしか言っていない。前後する「水のあと」の句と「鉄は鉄」の句のあわいに、言い知れぬ文明の危機に直面した現代への感傷がこみ上げる。
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