春雨の暗きが夜へ押し移る 生駒大祐
道ばたや鰆の旬のゆきとどき
雨のとびかひてあかるき花の昼
いずれも明確な対象物があっての叙景句ではない。とはいえ個人に属する気分とは異なる、曰く言い難い大気感のようなものだ。たまたま選んだ一句目と三句目は雨を題材としているが、必ずしも雨そのものではなく幼児期の感覚のように暗くて怖い夜や明るくて華やかな昼と結びついている。また二句目は漁村を歩いてでもいたのだろうか、「鰆の旬」という普通なら知覚しがたいものの横溢を感じている。このような句に出会うと、そうそう、これこれ、と思う。
鳥すら絵薺はやく咲いてやれよ
八田木枯の句には「鶴」や「針」が頻出するが、生駒大祐にとっての「絵」も同じような頻出アイテムなのかも知れないと思い始めている。ここまですでに「よぎるものなきはつふゆの絵一枚」「手遊びに似て膝掛に描かれし絵」「大寒の寝べき広間に一枚繪」「二ン月はそのまま水の絵となりぬ」「芝焼の煙や壁の真中に絵」がある。共通するのは、動くことができない封じ込まれたもののイメージである。それは希望や危機に直面しても同じである。
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