最終章は「秋」である。これまで見てきたような無生物の生命体化や「絵」への固執は本章においてもますますあらわで豊穣な季節を彩る。が、同じような句を挙げてもしょうがないので、違う観点からもう少し見てみよう。
烏瓜見事に京を住み潰す 生駒大祐
「住み潰す」はあまり見かけない複合動詞であるが、壊れるまで住み続けるということだろう。あくまで実作者としての直感でしかないが、この句、最初は「今日を住み潰す」と一日の終わりを詠んだものだったのではないだろうか。そこから同音異義語である古都を得て最終稿としたのではないかという気がしてならない。複合動詞の句では他に「擦りへりて月光とどく虫の庭」「鳥渡る高みに光さしちがふ」などが印象的である。
天の川星踏み鳴らしつつ渡る
複合動詞に限らず、生駒句には一句の中に動詞をふたつみっつと詰め込んだものが多い。「ある」「ゐる」なども動詞に数えるならばじつに多い。「虫籠の中の日暮や爪楊枝」「星空にときをりの稲光かな」のような動詞のない句もある一方で、生駒句を特徴づけているのは「覚えつつ渚の秋を遠くゆく」「雁ゆくをいらだつ水も今昔」などである。無生物の生命体化と一句の中の動詞の多用は、たぶん密接な関係がある。
ゆと揺れて鹿歩み出るゆふまぐれ
挙句である。多分にもれず動詞三個(うち二個は複合動詞を形成)を畳み掛けるが、眼目は句頭の「ゆ」だろう。動作の作用や状態を表す格助詞「と」の前に置かれ、句中に四回現れるyu音として調べを整えるとともに、たった一音、たった一文字で曰く言い難い状態を表現している。これは田島健一の「ぽ」とともに語り継がれるべき「ゆ」であろう。
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