2017年1月10日火曜日

「あるある感」とはちょっと違う微妙な感じ

 しばらく岡田由季『犬の眉』(現代俳句協会)を読むことにする。著者から2014年夏にご恵送頂いたもので、じつに申し訳ない限りである。内容は六章に分かれほぼ経年順とのこと。章ごとに見て行きたい。まずは「一塁ベース」。章のタイトルをどの句から採ったか、みたいなことは書かないことにしよう。

  美術館上へ上へとゆく晩夏
  朝礼の一人上向く今日の秋
  新生児室の匂ひや星祭
  十月の家庭裁判所の小部屋

 章の中の見開きに並んだ四句である。たまたま開いたページがそうというわけでもなく、岡田由季の句は総じて状況の提示が簡潔にして鮮やかである。なんでこんなにうまく切り取れるんだろう。そんな中で三句目は異質だ。いわゆる二物衝撃の作りとなっていて、新生児室が中心で星祭を取り合わせたようにも、星祭が中心でそこに「新生児室の匂ひ」を感じたようにも取れる。新しい生命と星祭りをめぐる伝説との取り合わせの中で、読者の想像は自在に広がる。

  自動ドアひらくたび散る熱帯魚
  遠足の別々にゐる双子かな

 日常のなかの曰く言い難い違和感を印象深く句に仕立てている。「あるある感」とはちょっと違う微妙な感じ。

  父と子が母のこと言ふプールかな
  人日やどちらか眠るまで話す

 血のかよった人間関係というか、了解しあえる機微というか、そういうものがそのまま句に定着されている。この句の世界、そうとう好きだ。

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