2017年1月5日木曜日

原風景のむせかえるような匂い

 広渡敬雄『間取図』(角川書店)の続きで、平成二十二年。

  凍滝の中も吹雪いてゐたりけり
 じつに凄絶な光景である。まことに万物は季重なりである。
 
  斑雪野や杉の匂ひの濃くなりぬ
  魚籠動く岩魚の匂ひほとばしり
  有刺鉄線巻いて運ぶや草いきれ
  はるかより山羊の匂ひや秋の空
  飾売藁の匂ひの起ちあがり

 臭覚の句を拾ってみた。広渡敬雄の原風景には、むせかえるような匂いが渦巻いているのだろう。しかし匂いを表現するのに五句中四句が「匂ひ」なのか。日本語においてこの領域の語彙が発展しなかったということなのかも知れないと、やや思う。

  銀河系おぼろ砒素食ふバクテリア
 まず思い出すのは「鐵を食ふ鐵バクテリア鐵の中 三橋敏雄」である。深海で年月をかけて沈没船を蝕むイメージの敏雄句を意識しつつ、天空を取り合わせたものであろうが、固いことばとやわらかいことばを組み合わせた「銀河系おぼろ」はバクテリアの微細なイメージに対して効いていると思う。「銀河系」といえば前作『ライカ』には「青き薔薇活けし瓶あり銀河系」という句もあり、もしかすると広渡敬雄の得意フレーズなのかも知れない。そして「青き薔薇」の句は「銀河系のとある酒場のヒヤシンス 橋閒石」を直接的に思い出させる。どこにもそんなことは書いてないが、分かる人には分かるオマージュなのだろう。

  槍投げの一声西日浴びにけり
 こちらは<能村登四郎先生に「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」の句もあれば>と前書があり、明示的にオマージュである。他界した恩師の句業だけがまだ身近にあり影響を及ぼし続けている感じを捉えたであろう「一声」がじつによい。槍を投げた人ではなく「一声」が西日を浴びているのである。
 
  おまへだったのか狐の剃刀は
 学芸会でおなじみの「ごんぎつね」の台詞を取り込んで、植物名と組み合わせた爆笑の句である(という解説は野暮である)。句集には数句、はめをはずした句を混ぜておくと変化が出て効果的である、というセオリー通りであるところも、なんだか可笑しい。

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