時間軸の喪失とともに、こしのワールドで特徴的なのは句型の不統一です。不統一なので逆に切れ字を使用している句が意外と多いことに驚いたりもします。
一階に母二階時々緑雨かな こしのゆみこ
さみだれや猫の話で眠ってゆく
昼寝する父に睫のありにけり
泳いできし耳にあふれる故郷かな
鈴のよく鳴りし裸のありにけり
くつひものほどけしごとき昼寝かな
親戚にぼくの如雨露のありにけり
女から乗せるボートのゆれにけり
このような句だけを取り出すと一見こしのゆみこが形式を守っている俳人のようにも思えるのですが、ぜんぜんそんなことはありません。「こしのゆみこは今でも指を折りながら俳句を作っている」というまことしやかな噂を耳にしたことがありますが、こしのワールドの中では、以下のような句がお構いなしに混在して存在感を放っています。
後退る背泳かなしい手をあげる
夏寒き父仁丹のひかりのみこむ
夏座敷父はともだちがいない
おばさんのような薔薇園につかれる
そらからねぶへ猫のびたりちぢんだり
熱帯魚の向こう恋人が小さい
えのころやかばんの傷が見えなくなった
林檎むく左手カランと鳴らすみたい
巻毛(カール)のなかのからまつ黄葉とってあげる
木の実なんだかいらなくなってにぎっている
時間軸の喪失と句型の不統一によって、こしのワールドは夢のように漂っているのです。
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