2009年8月31日月曜日

こしのゆみこ『コイツァンの猫』3

 家族や越野商店と地続きになったファンタジーの世界(というか虚実の定かならざる世界)を構成する句群を見て行きましょう。この虚実の定かならざる世界、句集の構成として時系列を曖昧にしている効果とも言えます。幼年時代、少女時代のこしのゆみこが自在に立ち現われるその世界は、その時点時点の真実であったとしても、作中世界で時間軸を喪失して現われるとき、それはファンタジーとしか呼びようのないものとして意識されます。

卯月野をゆくバス童話ゆきわたる    こしのゆみこ
よびすての少年と行く夏岬
水無月の玻璃に少年鼻を圧す
さみだれや猫の話で眠ってゆく
木下闇のような駄菓子屋ちょうだいな
後退る背泳かなしい手を上げる
まんじゅうのように夕やけ持ち帰る
金魚より小さい私のいる日記
出航をいくつながめる夏帽子


 きりがないので略しますが、このような虚実の定かならざる世界において、かのブルドッグは登場します。

朝顔の顔でふりむくブルドッグ

これはシングルカットしようのない、作中の時系列を失った世界でのブルドッグであり、どうしようもなくシュールでクリアでファンタスティックなブルドッグに他なりません。なんとかなしくうつくしいことでしょう。技術論からは無縁な遠い彼方のブルドッグなのだと私は感じます。

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