一方、「鶴」の方はこのような塩梅。
夕花野鶴の咳かと思ひけり
体温計ゼロに戻して鶴来たる
日々是好日鶴守の黒眼鏡
昼月を宿したるごと鶴歩む
死に水の旨さはいづれ鶴来る
雪しづり鶴の骨掃く箒あり
鶴帰る日の針箱に針がない
どちらかというと一句一句として問うよりも、一連の流れの中に点在することによって、常にある種の不吉ではかない場所へ舞い戻る役割を負っているように感じられます。その中にあって「死に水の旨さはいづれ鶴来る」の大胆不敵な味わいはどうでしょう。季語の斡旋も実に絶妙です。
三島ゆかり俳句日記2.0
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