2009年8月21日金曜日

鳥居真里子『月の茗荷』3

集中、バッソ・オスティナートのように繰り返し現れる語として「母」と「鶴」があります。

陽炎や母といふ字に水平線  鳥居真里子
永眠のはじめは雪となりし母
ゆく春や盥の水は母に似て
母性液体父性は固体茄子の馬


 三好達治のあまりにも有名な一節「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」を踏まえてひねりを加えたであろう「母といふ字に水平線」があざやかです。
 「永眠のはじめは雪となりし母」は、現実界の天候にとどまらず冥界への道程に思いを馳せることになる語順配置が絶妙です。
 母性を液体ととらえた「ゆく春や盥の水は母に似て」「母性液体父性は固体茄子の馬」は、私の頭の中で先日紹介した正木ゆう子の「死もどこか寒き抽象男とは」と響き合っています。

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