2009年8月26日水曜日

高柳克弘『未踏』2

この句集、いかにもな青春俳句とともに飛翔するもの(とりわけ蝶)へのあこがれがあって、それが全体の雰囲気を決定しているようです。

蝶々のあそぶ只中蝶生る       高柳克弘
ゆびさきに蝶ゐしことのうすれけり
太陽の号令つばめひるがえり
われのゐる日向に雀巣立ちけり
鉄路越え揚羽のつばさ汚れけり
蝶ふれしところよりわれくづるるか
眉の上の蝶やしきりに何告ぐる
蝶の昼読み了へし本死にゐたり
路標なき林中蝶の生まれけり
わがつけし欅の傷や蝶生る

(など多々)

 また、飛翔するものに限らず空あるいは大樹など、上を向くものが実に多く散りばめられています(二物衝撃の配合先も含め)。

白樺の花大空は傷つかず
春月や羽化のはじまる草の中
春の雲チアリーダーに甘えなし
夏を待つ欅や枝を岐ちつつ
大欅夏まぎれなくわが胸に
駅を出て大樹ありける帰省かな
わが拳革命知らず雲の峯
ひまわりの空わがことば揮発せり
ヘッドホン外せり銀河仰ぎけり
円陣を解き秋晴へ散りゆけり
何仰ぎをるやおでん屋出でしひと
一番星いちばん先に凍ての中

(など多々)

 という背景もしくは額縁を用意した上で、そこに伝記的事実のなまなましい青春俳句を置くことによって句集全体のバランスが保たれているのだと感じます。いかにもな伝記的事実がなまなましい青春俳句を拾ってみましょう(もちろんフィクションである可能性もあるのですが)。

卒業は明日シャンプーを泡立たす
ゆふざくら膝をくづしてくれぬひと
わが部屋の晩夏の空気君を欲る
木犀や同棲二年目の畳
滝の音はだけし胸に受けてをり
マフラーのわれの十代捨てにけり
どの樹にも告げずきさらぎ婚約す
雛飾るくるぶしわれのおもひびと
婚約のゆるしのやうに黄落す


 最後にいちばん好きな句。伝記的事実はいざ知らず、こういう句を作れる人が青春俳句真骨頂漢なのだと思います。

冬青空翼もつものみなつぶて



ついでながら、句集にこのようにキーワードを散りばめる手法は、句集全体の雰囲気を決定づける上で大変効果的です。「母」と「鶴」が散りばめられた鳥居真里子『月の茗荷』も同様でしたが、そもそも、キーワードを散りばめる手法には手法として名前がつけられているのでしょうか。また、かつて連作俳句華やかなりし頃、水原秋櫻子や山口誓子の連作が「絵巻物的」とか「設計図的」とか分類されたように、キーワードを散りばめる手法にもいろいろなバリエーションがあって分類整理されているのでしょうか。

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