対岸をきのふと思ふ冬桜 山田露結
たまたま『静かな水』の勉強会で、「深井戸を柱とおもふ朧かな 正木ゆう子」という句が引き合いに出され、そんなものは「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」ですでにできあがっているパターンではないか、みたいな否定的な論調で終わってしまったのだけれども、これは天狗俳諧の摂津幸彦が未来に遺した三物衝撃のテンプレートなのかも知れません。一物仕立てとか二物衝撃とかはよく言われるところですが、「目には青葉山ほととぎす初鰹 山口素堂」となると、「いや、あれは…」と口を濁すようでは俳人たるもの、情けないではありませんか。
掲句、今もありありと見えるものを過去のものとして訣別しようとしている、未練の残る孤愁を冬桜に感じます。
さて、そもそも山田露結さんと私との縁というのは、俳句自動生成ロボットに他ならないので、酔狂に「三物くん」というのを作ってみました。句型としては「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」と、(誰もそんなことは言わないけど)これも三物衝撃クラシックである「階段が無くて海鼠の日暮かな 橋閒石」をもとに下五が5音の名詞も仕込んであります。
電灯を画鋲とおもふ師走かな ゆかり
「みしみし」から。
返信削除「目には青葉山ほととぎす初鰹」
17文字で五感のうちの視覚、聴覚、味覚をカバーしている
という無駄のなさは、俳句前には余韻も明確で、自分の中では
技としてのお手本だったのですが、俳句を習い始めたら、
これはなんとなく「NG」いうレッテルを貼ってどこかにしまって
ました。
みしみしの『三物衝撃のテンプレート』を読んで、また考え
方が新たになりそうです。
いちろ→
あ、危険思想を植え付けてしまったかも知れません。三物くんが生み出すがらくたのような句を前に、原典である「路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」と「階段が無くて海鼠の日暮かな 橋閒石」がいかに味わい深いかを吟味した方がよいかも。
返信削除はい。
返信削除「目に青葉…」は、spin-offで詠めそうな所に
初心者的には輝いて見えます。
三物衝撃クラシック!脳裏に段階を踏んで余韻が
やってくる…。はまりそうです。
でも自分では詠めないので大丈夫です(笑)。
三翻(さんはん)縛りみたい。