声となりほどなく鶴となりにけり 山田露結
写生的な観点から言えば、例えば雪原に鶴がいるのだけれど保護色のため初めは分からず、声を聴いたのち初めて姿を認識したという情景を的確に捉えた句、ということになりましょう。が、実景はさておきテキストとしてこの句を眺めた場合、抽象的な属性と全体の、次元を無視した並置こそが読者に対し何かしらを喚起するのだと感じます。
クロールの夫と水にすれ違ふ 正木ゆう子
こちらの場合、人物と物体の並置ということになりますが、大ざっぱにいえば、やはり次元の異なるものの並置の面白さを感じます。
閂に蝶の湿りのありにけり 山田露結
この句の場合、閂の湿り気と蝶の湿り気は同じだと言っているわけだから、次元の異なるものの並置とは違うかも知れません。しかしながら、湿り気を表す尺度として、蝶というのはそうとう変なものです。そういう意味では、次元の異なるものの並置と同じくらい意表をついて成功しています。実際のところ、雨露にさらされた閂のもつ、決して濡れているわけではないけれどもひんやりとした、あの触感というのは、「蝶の湿り」と断定されたとき大いに腑に落ちるものがあります。
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