2011年12月29日木曜日

俳句というフラワーアレンジメント

刈萱を投げ入れ壺をくつろがす 渋川京子

 活ける草花によって、壺も緊張を強いられたり、そうでなかったりするのでしょう。壺が単なる器ではなく、草花と呼応して生命を得る配合の機微を思います。「投げ入れ」と「くつろがす」の把握が絶妙です。

逝く人に本名ありぬ青木の実 渋川京子

 してみると、ある種の二物衝撃はフラワーアレンジメントそのものなのです。「センセイ」と呼んでいた人が松本春綱という本名を持っていたことを思い知らされるような、そんな場面は、お互いを俳号で呼び合う私たち俳人仲間のあいだでもたまにあることです。「青木の実」のくっきりとした斡旋がじつに見事です。

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