太田うさぎの句はもはや郷愁の中にしか実在しないのではないかと思わせるうつくしすぎる句群と、妙にしどけない句群と、胸を打つ家族のアルバムとしての句群と、ひょうきんで変な句群が、渾然一体となって入り交じっていて、どこから語り始めていいのかそうとう困るわけですが、ひとまず「うつくしい日本のうさぎ」。「うつくしい」がどっちにかかるかって、そりゃあもう、断然うさぎです。
梁打や遠嶺は雲と混ぢりあひ 太田うさぎ
近景の梁を打つ男や水のきらめきなどの一切を「梁打」という言葉の裏に隠し、雄大な遠景を詠い上げたこの句は、もはや古格のようなものが感じられ、例えば山本健吉の名著『現代俳句』に載っていたとしても、まったく不思議はありません。
老鶯の整へてゆく水景色 太田うさぎ
「老鶯」の音の世界にフォーカスを当てるために、風景の具体的な一切を裏に隠して「水景色」と置き、それを「整へてゆく」とした措辞の確かさが実にあざやかです。
とはいえ、このような花鳥諷詠俳人としての底力をちら見せするにとどまり、さまざまな側面にまぎれてゆくあたりのゴージャスさにこそ、太田うさぎの真骨頂があるのです。
(続く)
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