句集を読んでいると、ある句が自分の知っている別の人の句と自分の中で吊り橋が落ちるように激しく共振し出すことがあります。そんな句たちを同じ壺に活けてみるのも楽しいかも知れません。
腹筋をたっぷりつかい山眠る 渋川京子
山眠る等高線を緩めつつ 広渡敬雄
いずれも「山眠る」の句としては、かなりトリッキーなものでしょう。京子句、腹式呼吸して眠る山を思うと、人間の営みなどほんの地表のささいなものなのでしょう。敬雄句、そもそも地図上の概念であって実在しない等高線をコルセットのように捉えた見立てが実に可笑しいです。
梅咲いて身にゆきわたる白湯の味 渋川京子
ひとりとは白湯の寧けさ梅見月 太田うさぎ
つい先日、うさぎ句について「酒豪ならではの句でありましょう」と書いたばかりなのですが、渋川京子さんにも白湯の句があって、奇妙な暗合に驚いています。白湯の味を梅の花と配合させた京子句、「ひとりとは白湯の寧けさ」だという感慨を梅の時期と配合させたうさぎ句、どちらも五臓六腑にしみわたります。
枇杷の花谺しそうな棺えらぶ 渋川京子
行春やピアノに似たる霊柩車 渡邊白泉
磨き上げられた棺は、言われてみれば確かに谺しそうです。また黒光りする霊柩車は確かにその色艶の具合においてピアノのようです。音や楽器の比喩は、いささか不謹慎といえば不謹慎ですが、俳人たるもの、そう感じてしまうのを禁じ得るものではありません。京子句、ここではまったく谺しそうもない、もっさりとした枇杷の花を配合していて、じつに渋いです。
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