2011年12月31日土曜日

やや思ふ青鞋のこと閒石のこと

水売りの言葉によれば立夏かな 岡村知昭

 「水売」というのは、広辞苑によれば「江戸時代、夏、冷水に白玉と砂糖を入れ、町中を売り歩いた商人」とあります。たぶん、この人たちの立夏はまさに仕事がかき入れ時になる頃なのでしょう。
 ところでこの句、「この国の言葉によりて花ぐもり 阿部青鞋」の遠い影があるような気がします。

れんこんのなおも企む日暮かな 岡村知昭

 そう思い出すと、この句も「れんこんの穴もたしかに嚙んで食べ 阿部青鞋」の遠い遠い影があるような気がしてきました。からっぽの分際で、れんこんの穴が悪代官のように企んでいるのです。ついでにいうと、「日暮かな」だけなのに「階段が無くて海鼠の日暮かな 橋閒石」のほのかな影もあるような気がしてきました。阿部青鞋も橋閒石も、意味と無意味のはざまで重大な足跡を残した俳人なので、読者の方で呼び込んでしまうのかも知れません。

秋風も叙情詩もいや三宮 岡村知昭

 閒石といえば、「詩も川も臍も胡瓜も曲りけり 橋閒石」という句があり、詩を含む「も」の連鎖に、やはり影を感じます。三宮といえば、この句ができた頃、復興は進んでいたのでしょうか。

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