2011年12月17日土曜日

写生という手品

(12/18改題および一部改稿)

うすらひの水となるまで濡れてをり 齋藤朝比古

 こんな句に出会うと、昔ながらの「写生」「発見」というキーワードが今でも使える不可思議、世の中にまだ詠まれていないものがあったのだという驚きを覚えます。理屈と言えば理屈ですが、水そのものは決して濡れているわけではないのであり、「春の水とは濡れてゐるみづのこと 長谷川櫂」への異議申し立てとして、セットで語り継がれて行くような気がします。

囀や日影と日向隣り合ふ  齋藤朝比古

 「日影と日向隣り合ふ」と言われてみればその通りなのですが、当たり前すぎて誰もそんなふうには詠めなかったはずです。「囀や」に何かしら人智を超越したものを感じます。

ふらここの影がふらここより迅し 齋藤朝比古

 最初これはうそだと思いました。円弧を描くふらここの方が平面上を直線運動する影より大きく移動するのだから、本当はふらここの方が速いのでは、と。大きく移動する分、ほんものは明らかに遠回りして感じられ、その分遅く見えるだけでは、と。でもよくよく考えてみると、本当に影の方が速い場合があるのですね。
 簡単のため、ふらここの軌道を半円とし、ふらここが一番下がったとき地面に接し、太陽は左上45度の無限遠点にあり、ふらここが左から右に進み、半径rとします。
 最初に思ったのは、影は2rしか進まず、ふらここは2πr/2進むのだから、どう考えたってふらここの方が速いではないか、ということでした。が、よく考えると、起点からふらここの軌道が太陽光線と接する左下45度の位置まで、影は逆に左へ進みます。ふらここが左下45度を過ぎると影は右に進むようになります。そして、影は最下点から2r右に進みます。影が最下点から2r右に進む間、ふらここは半円のさらに半分を進むので2πr/4=πr/2移動します。2>π/2なので、影の方が速いのです。
 そのことに思い至ってから、この句のフォントサイズが大きく見えます。

4 件のコメント:

  1. >本当はふらここの方が速いのです。

    この俳句が日中の情景を詠んでいると仮定して、もし日光の角度が45度以下だったら、影のほうがふらここより大きく移動するのではないかと思ったのですが。ふと思いついたことなのでちゃんと考えていないのですけど、アドバイスを。

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  2. コメントありがとうございます。私もよく分からないのですが、まずふらここの前後に上がりきった二点を、空中で直線で結んでみて下さい。これはふらここの軌道に対し、円弧と弦の関係になります。で、太陽は無限遠点にあるので、角度が何度であろうと地面に映る影は平行四辺形をなして弦と同じ長さになります。つまり、結局のところ円弧と弦の関係にしか過ぎないのです。だから、速さでいうと円弧を動いている方が速いんだけど、影はずるをして近道を行く機関車トーマスみたいな奴なのです。

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  3. 角度もさることながら、見ている人間が進行方向の逆に
    回り込むとどうでしょう。

     句としては、本当に速いかどうか別問題だとは思いますが、
    新幹線の中でボールを進行方向逆へ投げれば、ほんの僅か
    ですが観測者からはボールが速く見えるはずです。相対性
    理論です。この場合、観測者には、なんと影は遅れて見える
    はずでも。ごくごく僅かでしが。この逆をやれば、ボールは
    遅く見えるはずです。

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  4. ええと、皆さんのおかげでだんだん状況が特定できてきました。作者は太陽を背にふらここに乗っているのです。
     するとどうでしょう。追っても追っても影に追いつくことができないではありませんか。

    なんという客観写生!

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