2012年 8月 5日(日)11時22分52秒から2012年 9月 3日(月)23時59分42秒まで。
るふらんくん更新 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 9月 3日(月)23時59分42秒
句型をふたつ増やしました。
これはかほこれは我慢の長き夜か るふらんくん
秋の田の雨そのほかの雨も魚
馬鹿ですね。
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詩レ入句会(7)作者発表 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 9月 3日(月)22時55分21秒 編集済
五分抜けて軽くなりけり黄金虫 らくだ ゆ
いざ蚊取線香という意趣返し らくだ 七
文庫には解説が載り夏終わる らくだ 裕苑
たわむれる脚としっぽとねこじゃらし らくだ 令銀七苑
朝顔に日々喪失の手順あり らくだ 令
秒針に朱の影を差す始皇帝 裕
トンカツがバッタのように跳ねている 裕 七苑
○に紗をかけ固まってゆくチャバネゴキブリ 裕
モーニングコール白和えしたる屋形船 裕
傘こそ瘡と係り結びの夜に触れる 裕 銀七ゆ
かなかなが鳴き止むひとつ歳をとる 苑を らゆ
川であつた路を辿りてあきあかね 苑を 令銀
ライオンの老いの眼に秋澄めり 苑を
爆ぜてゆく二百十日のフライパン 苑を ら
かまきりの回転ドアを回し来る 苑を 銀七
西詰と東詰とで待つてゐる 令 ら
約束の菊花の候をやり過ごす 令
白墨の人型起あがる路上 令 銀
数珠玉を集めるまでは片結び 令
叙事詩から葡萄の蔓へ翻る 令 裕銀七らゆ
パンジーやさやうならといつせいに 銀河
過去帳に一族一緒月見草 銀河
ひるがほは鉄のにほひを朝まだき 銀河 裕ゆ
みどりごの父は夜勤めむかご飯 銀河
雨漏りのこだまざわめく水琴崫 銀河
閻魔蟋蟀明るい闇を連れている 七 令ら苑ゆ
秋の蝶半身空よりはがれ落ち 七 らゆ
穴惑ひ番外編を引き伸ばす 七
オマケ付きグリコのオマケ秋の虫 七 ら
連れ求食虫植物栽培家 七 令
受付のてきぱきとして石榴かな ゆかり 裕
西瓜とも糸瓜とも銀板写真 ゆかり 裕令七苑
秋澄むや木目のやうなかほをして ゆかり 裕苑
へうへうと高きところを糸瓜かな ゆかり 裕銀苑
秋色やひとには言へぬ同じ夢 ゆかり 令
(以上)
銀河さんの五句目は「水琴崫(すいきんくつ)」だったのですが、作業の過程で化けてしまいました。すみませんでした。
しばしご歓談下さい。
詩レ入句会(7)選句です。 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 9月 3日(月)22時31分0秒
○かなかなが鳴き止むひとつ歳をとる
中七の途中の強引な切断が、まるで別の人が付けたような味わいがあります。
○ひるがほは鉄のにほひを朝まだき
これはつぼみをドリルに見立てているのかも知れないけど、は行のやわらかい平仮名の連鎖の中に異物のように鉄という漢字があるところがいいです。
○五分抜けて軽くなりけり黄金虫
「一寸の虫にも五分の魂」ですね。黄金虫、昇天あそばせましたか。滑稽は俳諧のいのちです。
○傘こそ瘡と係り結びの夜に触れる
どうせなら「夜に触れめ」とか本当に已然形を入れてまとめて欲しい気もしますが、「傘こそ瘡」から駄目押しの「係り結び」までK音で頭韻を踏んだこそばゆさが心地よいです。
○秋の蝶半身空よりはがれ落ち
詩的であることが一周して滑稽感を帯び、どこか木口小平のようでもあります。
○叙事詩から葡萄の蔓へ翻る
叙事詩と葡萄の蔓の配合がすばらしいですね。「翻る」はひらがなの方が広がりを持つかも知れません。
○閻魔蟋蟀明るい闇を連れている
言われてみると「明るい闇」と「暗い闇」があるようです。
NHK 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 9月 3日(月)21時52分37秒
ぐみさん、ロスのNHKは流暢な日本語でそんな駄洒落をかましているのですか。波長が合えば楽しいのでしょうね。東京もおととい、きのうと半月ぶりくらいの雨でした。
宴 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 9月 3日(月)21時47分4秒
七さん、どうも。表六句は地名、神祇釈教の類は避けましょう、と、リフレイン歌仙の分際で正論を述べる捌き人なのであります、えへん。「あちらはこちら…」も悪のりが過ぎるようなところがあるので、しっとり行きましょう。もう一句、別のアイデアでお願いします。
おお、狩行 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 9月 3日(月)21時25分16秒
手許にある花神コレクションから『第九』の抄録を見てみました。さすがに「虚子編の…」は載っていないものの(なにが「さすがに」なのか)、こんな句がありましたねえ。
あぢさゐの寺そのほかの寺も雨 鷹羽狩行
とつくんのあととくとくと今年酒
数へ日の数へるまでもなくなりぬ
寒戻る寒にとどめをさすごとく
逃げ水の逃ぐるを追ひてわが五十路
これは神これは仏の筍か
鈴虫を飼ひ殺し詩を生み殺し
いそがしきことのさみしきみそさざい
蜘蛛の囲の全きなかに蜘蛛の飢ゑ
いつはりもいたはりのうち水中花
香も八重の八重垣姫の菊衣
こういう句群の中にかの「虚子編の季語の一つの虚子忌かな」は存在していたのですね。ううむ。頑張れ、るふらんくん。
古い話題で恐縮ですが… 投稿者:野口裕 投稿日:2012年 9月 3日(月)20時42分12秒
『歳時記の宇宙』、立ち読みではなく購入していました。
がらくたの山から発掘してみれば、「三省堂『季寄せ』」と詞書きがあって、
虚子編の季語の一つの虚子忌かな(狩行)
となっていました。句集『第九』に収録、とのことです。
謹んで訂正し、ルフランくんに謝罪いたします。
ルフラン歌仙宴の巻第四 投稿者:七 投稿日:2012年 9月 3日(月)08時45分24秒 編集済
馬込駒込赤不動前 七
あちらはこちら手のなるあそこ 七
ひぇえ~~(@_@)るふらんくん誕生!?おめでとうございます~ぅ・・。
涼しくなりまして、投句させていただきやす。
だめもとで、どうぞよろしく(ペコリ)
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詩レ入句会7 選句 投稿者:苑を 投稿日:2012年 9月 3日(月)08時31分29秒 編集済
遅くなりました。
付け句のエキスってなんだろ。前にも後ろにも余白?な感じをいただきました。
と言っても、結局選句は選句。ポイントはここということで。
○たわむれる脚としっぽとねこじゃらし
たわむれの質感。
○トンカツがバッタのように跳ねている
飛び出していきそうな動的な印象。
○へうへうと高きところを糸瓜かな
位置とか距離感とか。軽みとか。
○秋澄むや木目のやうなかほをして
澄む秋の質感。
○西瓜とも糸瓜とも銀板写真
植物と鉱物のぶつかりあいが面白い。
○文庫には解説が載り夏終わる
ある意味余分な最後の「解説」にけだるさ。
○閻魔蟋蟀明るい闇を連れている
文字面との対比。
リフレイン歌仙……ひぇぇ~、楽しみです。
リフレイン 投稿者:ぐみ 投稿日:2012年 9月 3日(月)02時11分10秒 編集済
NHKの天気予報で俳句をやる予報士のおじさまが
「明日もレイン、リフレイン」と言ってました。
此処の板、見ているのかしら。
リフレイン歌仙 宴の巻・第三 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 9月 3日(月)00時21分36秒
ひえ~、令さんによって、全体リフレインで行くことに決定いたしました。
宴かなやや浮く茸飛ぶ茸 なむ
樹下には樹下の山の粧ひ ゆかり
月はじめ月ずゑ望の月を見て 令
では秋を離れてどなたかお願いします。リフレイン必須とします。
第三 投稿者:令 投稿日:2012年 9月 2日(日)20時21分47秒
月はじめ月ずゑ望の月を見て 令
るふらんくん誕生お祝い歌仙かしら?
どうでせうか。
宴の巻・脇 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 9月 2日(日)13時56分3秒
なむさん、お久しぶりです。そういえば、ここ、しばらく連句を巻いていませんでしたね。咄嗟に「赤い茸白い茸と食べて死ぬ」というのが思い浮かんだのですが、それでは脇にならないので気を取り直して。
宴かなやや浮く茸飛ぶ茸 なむ
樹下には樹下の山の粧ひ ゆかり
ではどなたか、第三に月を繰り上げ、て止めでお願いします。
お久しぶりです。発句、置いてみます。 投稿者:なむ。 投稿日:2012年 9月 2日(日)04時41分28秒
宴かなやや浮く茸飛ぶ茸 なむ
詩レ入句会7 選句 投稿者:らくだ 投稿日:2012年 8月31日(金)18時29分39秒
◯オマケ付きグリコのオマケ秋の虫
おまけにおまけが付くという可笑しみ。さらに、おまけは虫かもしれない可笑しみ。
◯かなかなが鳴き止むひとつ歳をとる
これもひとつの秋思なんでしょうね。もう秋だなぁと思う頃にこういうこと考えちゃうという。
単純に、誕生日が今頃、なのかもしれませんが。
◯秋の蝶半身空よりはがれ落ち
悲しくてきれい。せっかくの儚さだから、結句は「はがれ落つ」と終止形にした方が合うと思いました。
◯叙事詩から葡萄の蔓へ翻る
ひゃー、素敵~! 今回一番好きな句です。といっても、深い意味はよく分からない。(だめじゃん)
「翻る」で、現実から空想の世界へ飛ぶようにも、空想から現実に着地しているようにも。
時間も空間も無限に広がるような、なんというか壮大な感覚。
◯西詰と東詰とで待つてゐる
季語の有無ということでなく、この諧謔味は川柳っぽいと思いました。でもこの諧謔味が、好きですわ~。
◯爆ぜてゆく二百十日のフライパン
「ゆく」のせいか、ぱっと読んだときにフライパンが嵐の中を飛び跳ねて行くマンガのような景をイメージして、笑ってしまいました。
もちろん、正しくは、フライパンで何かを炒っているんでしょう。二百十日というちょっと不穏な季節、じっとフライパンを見つめている目がちょっと怖い。
◯閻魔蟋蟀明るい闇を連れている
「明るい闇」、なるほど、エンマコウロギは明るい感じがします。触るとぷにぷになんですよね。
詩レ入句会(7 投稿者:七 投稿日:2012年 8月31日(金)17時33分53秒
○いざ蚊取線香という意趣返し
電気蚊取りに電池式、いまはしゅっとひと吹き半日は蚊が来ませんで、でもやっぱり日本の夏は除虫菊のあの匂い75㎝の渦巻き、よ。
○傘こそ瘡と係り結びの夜に触れる
「傘」「瘡」とかけて「係り結び」、まとまりまして「夜に触れる」うわ!カッコイイ!通人ですなぁ。
○叙事詩から葡萄の蔓へ翻る
壮大な詩群の形式が蔓化植物にからんで転じ展開し世界は広がる。
○かまきりの回転ドアを回し来る
○たわむれる脚としっぽとねこじゃらし
○トンカツがバッタのように跳ねている
上記三句、展開の大胆さにかき回されて、意外なところに連れて行かれるのも発見と喜び。MでSの連句道、か!
○西瓜とも糸瓜とも銀板写真
最低30分はじっとしてないと画像が見えてこないダゲレオタイプ。スイカなんだか瓜なのか、それがまた面白い。
「連句のエッセンスとかエキス」に素直に囚われ、そのこと言っていそうな、句、だなと思ってしまった、句を、選んでみました。
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詩レ入7句会 選句 投稿者:銀河 投稿日:2012年 8月31日(金)00時41分50秒
選句 銀河
風狂俳諧性軽みのあるもの。リズムとしては連続と切断が効いていて、三句の渡りを一句内に凝縮する感のあるものを選びました、
○ かまきりの回転ドアを回し来る軽妙で意外性がある。情景としてカマキリが上半身の姿勢が、回転扉を腕で回してはいる人間の仕草に似ているので、着眼が面白かった。
○ たわむれる脚としっぽとねこじゃらし人間の足、猫のしっぽ、猫じゃらし。なるほど似ている、長いもの動くものが変容してゆくのである。この分節ごとの転じかたはまさに連句的ではないだろうか?
○ へうへうと高きところを糸瓜かな高いところでぶらぶら揺れている糸瓜の様子はどこか人間的である。「へうへう」に諧謔のセンスを感じる。
○ 傘こそ瘡と係り結びの夜に触れる「カサコソカサ」と音韻に軽々とはこばれる。意味深なところは、すこしくどいが、「係り結びの夜に触れる」へ持ち込んだ技巧が高度なので文句のつけようがない。仕組みが明らかすぎるがやはりチェックさせる。
○ 叙事詩から葡萄の蔓へ翻るこれは、意味の転じ方と世界の広がりがおおらかで作品世界として断然面白い。
○ 川であつた路を辿りてあきあかねこういうの好きだ。青い川の流れが見えてきそうだ。柔らかな発句というべきか。
○ 白墨の人型起あがる路上
白墨の人型になつかしさがある。SFアニメかファンタジーを見ているようで楽しい。もちおrん類想がありそうだ。
選句 投稿者:令 投稿日:2012年 8月30日(木)23時51分45秒 編集済
○たわむれる脚としっぽとねこじゃらし
同じ様なもしゃもしゃしたものが幾つもあって面白い。
部屋で人間がねこじゃらしで猫にかまっているところなのでしょうね。
○秋色やひとには言へぬ同じ夢
よほどいかがわしい夢なのか。
○西瓜とも糸瓜とも銀板写真
銀板写真にある何か得体の知れないもの。銀板写真がいいですね。
○川であつた路を辿りてあきあかね
実際に川であったときを知らなくても、川だったんだよと聞いただけでも
時の推移に茫然としますね。とんぼは往時を知ってか知らずか飛んでます。
○朝顔に日々喪失の手順あり
日々喪失、違いない。
○連れ求食虫植物栽培家
虫を求める植物を栽培している人が連れを求めているという二重構造が巧い。
○閻魔蟋蟀明るい闇を連れている
明るい闇という言い方も、あちこちで見かけるような気がするが。
虚心に 投稿者:野口裕 投稿日:2012年 8月30日(木)17時39分37秒
「連句のえきすとか、えつせんす」に災いしてか、選の際に連句の説明のような気がして取りにくい句がありました。もっと虚心に読まねば。では、選を。
ひるがほは鉄のにほひを朝まだき
中七下五が、早朝から音響かせて働く現場を思わせ、ゆっくり目覚めゆく昼顔との対比が、昼と朝の単純対比を越えて印象的でした。
へうへうと高きところを糸瓜かな
「へうへう」が、疑字餌とでも言おうか、姿も形も見えてきます。
受付のてきぱきとして石榴かな
石榴が撒き餌でしょうか。一問えば、百返ってきそう。
秋澄むや木目のやうなかほをして
円空仏似と言おうか、ジャコメッティ風と言おうか、澄んだ空気がそのまま哲理になりそう。
叙事詩から葡萄の蔓へ翻る
ポンペイの廃墟から発掘された陶器を思わせる。
西瓜とも糸瓜とも銀板写真
『坊ちゃん』の登場人物、「うらなり」の銀板写真もかくやと。
文庫には解説が載り夏終わる
少し前に、単行本で読んだものが、文庫本で単行本よりも安く売られている。おまけに解説が付いている。誰が書いているのだろうと覗く。大抵、なくても良い話なので安心するが、ああ夏の終わりだと実感するのもそういうときです。
詩レ入句会(7)投句一覧 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月30日(木)00時39分56秒
お待たせしました、
【連句のえきすとか、えつせんすとしての俳句】
○に紗をかけ固まってゆくチャバネゴキブリ
いざ蚊取線香という意趣返し
オマケ付きグリコのオマケ秋の虫
かなかなが鳴き止むひとつ歳をとる
かまきりの回転ドアを回し来る
たわむれる脚としっぽとねこじゃらし
トンカツがバッタのように跳ねている
パンジーやさやうならといつせいに
ひるがほは鉄のにほひを朝まだき
へうへうと高きところを糸瓜かな
みどりごの父は夜勤めむかご飯
モーニングコール白和えしたる屋形船
ライオンの老いの眼に秋澄めり
雨漏りのこだまざわめく水琴崫
過去帳に一族一緒月見草
穴惑ひ番外編を引き伸ばす
五分抜けて軽くなりけり黄金虫
傘こそ瘡と係り結びの夜に触れる
受付のてきぱきとして石榴かな
秋の蝶半身空よりはがれ落ち
秋色やひとには言へぬ同じ夢
秋澄むや木目のやうなかほをして
叙事詩から葡萄の蔓へ翻る
数珠玉を集めるまでは片結び
西瓜とも糸瓜とも銀板写真
西詰と東詰とで待つてゐる
川であつた路を辿りてあきあかね
朝顔に日々喪失の手順あり
白墨の人型起あがる路上
爆ぜてゆく二百十日のフライパン
秒針に朱の影を差す始皇帝
文庫には解説が載り夏終わる
約束の菊花の候をやり過ごす
連れ求食虫植物栽培家
閻魔蟋蟀明るい闇を連れている
(以上)
7句選(特選、逆選なし)
選句締切:9月5日(水)24時(JST)
投稿先:ここ
題に関わらず全体から7句選にてお願い致します。
整理の都合上、句の順番はそのままにして下さい。
よろしくどうぞ。
ただいま投句四名 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月29日(水)00時04分43秒
今晩は開けずに寝ます。御健吟を!
(なんか用法が違うような気がする…)
おお 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月27日(月)23時46分27秒
なんだか関西はディープでよいです。御記事、拙ロボットのことも取り上げて頂き、ありがとうございました。
http://blog.goo.ne.jp/maroad-kobe/e/33e4544760b0362294847babe50e8d47
9/8、遠隔地よりご盛会をお祈り致します。
攝津幸彦シンポジウム 投稿者:銀河 投稿日:2012年 8月27日(月)22時50分42秒
本欄をお借りして、アピールさせてください。
****
来る、9月8日に神戸文学館でささやかな(定員50人)シンポジウムを行います。(生粋の神戸っ子大詩人、俳人大橋愛由等企画)。近辺の方、お話においでください。
下記サイトに、摂津幸彦シンポジウムのアピール及び、パネラーが毎週一句鑑賞した配信がアップされています。
http://blog.goo.ne.jp/maroad-kobe
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/08/blog-post_2015.html
http://shiika.sakura.ne.jp/category/sengohaiku
ところで、下調べ途中に発見。
1969.年7月、同人誌「日時計」3号のシンポジウム記録があり、赤尾兜子、中谷寛章、坪内稔典、摂津幸彦,他詩人たちが出席。
第三イメージ論についてはなしあっていますが、大学紛争中の政治的言語への違和感を述べ、「なぜ我々は書くのか?」という自問が真剣に語られています。 果敢に赤尾兜子の第三イメージ論や、中谷寛章に切り込んでいた20代の摂津や坪内の発言が印象的でした。
この詳しい内容は、詩客8月31日にアップされる【戦後俳句を読む(29-3)】の《拙文《摂津幸彦再読⑤》をご覧ください。
以下日時計3号、より抜粋。前後会話省略。
・攝津幸彦・映像化されない言葉をふたたび言葉にしてゆく、イメージの発想の根源を、常に問い返す作業が必要。
攝津・「自分自身だけが感動できる/自分にとって絶対的な言葉を要求するのです。」
(攝津は、イメージには情況(外部) が既に入ってきているから、最終的に、その目的意識を、作る前のイメージが持ちうるか、という問題にたどり着く(イメージそのものに外部の問題が孕まれていて欲しいというゆなニュアンス)。中谷は意外にもこれに賛同して)
・中谷寛章・「肉声ということですね。言葉そのものが自分の身体の一部である、というような。」「肉体的言語というものを書き得たら、もう、そこに、/ものの存在すべてが入ってくるとは、僕も思うのですがね」
摂津・「しかし言葉を使って語ってゆくところにしか何も生まれてこない、という気もする」(赤尾兜子に対しても、「石」をいきなり「鉄」にしてしまうための論理化はいるのだ、と強調。)
方法論的にはこんなことをいってます。
・摂津・「肉声というものをどう多元的に発散させるか。]を考えている。
摂津・「死滅した冷たい植物的な言葉を使っで意識的に語呂遊びをやることで、僕達の肉体に何か帰ってくるのではないか、ということを考えているのですが。」
摂津幸彦は、語呂遊びや洒落の好きな人でしたが、それが、単に嗜好や趣味というのではなく、自分の中の言語化されないものを呼び余す装置のように考えられていたのだろう、と感じました。自動生成ロボットに夢中になるニンゲンの心性とかかわらせてみて、興味を感じました。
彼の(難解さ)の裏には、かなり複雑な感受性があり、言語感覚を左右し それがある程度方法意識化されていたのではないか、と・・。
第三イメージ論自体がわかりにくいシロモノですが、これに惹かれた摂津幸彦の探究心も理解できる気がします。
本欄北川透詩論の「余白」の根拠にも関係づkられるかもしれませんし、そうはならないかもしれませんが。
が、まあ、こんな調子です。
どうぞよろしくご注目ください。
型通り 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月25日(土)19時36分55秒
> 型通りに言葉を使った類句がずらりと並んでいても
後藤比奈夫つながりでいうと、「滝の上(うへ)に水現はれて落ちにけり 後藤夜半」に2年先行して「滝の上人あらはれて去りにけり 原城」という句があったという記事がありましたね。
影の背に雲ある限り桃に雲 るふらんくん
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俳諧百韻がみじかくなったのが俳句。 投稿者:銀河 投稿日:2012年 8月24日(金)11時01分33秒
随感少々。
1.
俳諧百韻が三六になり、さらに半歌仙になり、三ツ物が出てくる。もっとも短いのが俳句です。十四字詩あり、自由律の短律。だんだん短くなっても、誹諧のエッセンスは込められているのが伝統詩の歴史です。これは進化ではないのですか?
2.
北川透はジャンル発生の歴史過程ではなく論理的な探っているのですね。面白い展開ですね。・・けど、この人のカテゴリーのつくり方が、まさに文学的(喩的)だ、と思っています。文学論というより、論理の文学化、です。この評価や開拓は、読者の活用の仕方如何にかかっています。それは、この本の最大の長所(オリジナリティ)であり、また理論書としての最大の限界です。
3.
俳句や俳諧の場合は、型通りに言葉を使った類句がずらりと並んでいても、実質的に優劣は決められないにもかかわらず、いつおまにかそのうち一句ないし二句のみがとりわけ感動され、優れている(・・とされて)。最上位におかれ伝承されるのですが、この優劣の違いはなんでしょう?「心憎い」とは言い得て妙ですが、
まさに、余白の場に込められる文学的エスプリの心憎い作用によるものだと思います。
北川透のこういった論法は、すでに理論ではなく。。。なんだろなあ?、
おはようございます 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月24日(金)08時27分18秒
うさぎさんが「心憎い技巧」とおっしゃるなら、なんだかもっと読んでみたくなりますね。図書館に花神コレクションを予約しました。
稲架又稲架歌謡曲又歌謡曲 るふらんくん
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後藤比奈夫 投稿者:うさぎ 投稿日:2012年 8月24日(金)01時30分38秒
『心の花』を読んでも仰る通りリフレインの多用は気づきます。
でも、この人の場合リフレインはあからさまでなく、騙し絵的に取り込まれていると思います。心憎い技巧です。
睡蓮の句ですと
老に二時睡蓮に二時来てをりぬ
というのもありました。
詩レ入句会(7)出題 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月24日(金)00時27分3秒
Ⅱ章 余白論の試み
4 <発生>の余白--再び、短歌(P.059)
さて、北川透は書きます。
(前略)折口の歌の発生史観は、詩がつねに余白とともに出現したというわたしの思いつきに、理由をあたえてくれている。わたしたちの常識は、短い単純なものが広がって、長い複雑なものに進化すると考えやすいが、折口信夫が詩の発生に見ているものは、その反対のものであった。
《まづ、日本の歌においては、長い形のものがたりから、次第に変化して、長歌(ながうた)といふものが出来て来た一方に、そのえきすとも、えつせんすともいつてよい片歌が、二つ合さつて、旋頭歌といふものに発達して行くと同時に、片歌自身が、短歌を作り上げるやうに、次第に、音の数を増し、内容が複雑になつてきました。》(「詩の話」『折口信夫全集』第十一巻)
と言われて翻って現代の俳句というものをみたとき、そこに連句のえきすとも、えつせんすともいつてよいものを仮定してみたいのです。常識的には俳句は俳諧の発句という言い方をしますが、発句と考えるのではなく、連句のえきすとか、えつせんすとして見たときに何か思い当たらないか、ということです。
というわけで今回の出題です。
【連句のえきすとか、えつせんすとしての俳句】5句くらい
投稿締切:8月28日(火)24:00(JST)
投稿宛先:yukari3434 のあとにアットマークと gmail.com
よろしくどうぞ。
後藤比奈夫 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月22日(水)23時19分44秒 編集済
平井照敏編『現代の俳句』(講談社学術文庫)を読んでいると、後藤比奈夫の句ってリフレインが多いですよね。
罌粟畠の夜は花浮いて花浮いて 後藤比奈夫
睡蓮の水に二時の日三時の日
つくづくと寶はよき字寶舟
白魚汲みたくさんの目を汲みにけり
花に贅落花に贅を尽くしたる
東山回して鉾を回しけり
梅が香の中を流るる梅が香も
人の世に翳ある限り花に翳
滝音となる水と水水と石
水餅の水の重り合うてゐし
十景の一景も見ず牡丹見る
一と日づつ一と日づつ冬紅葉かな
自選五十句中でこの頻出具合は、ちょっとすごいです。
お手数をお掛けしました 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月22日(水)22時50分33秒
『歳時記の宇宙』ですか。雄山閣のそのシリーズって『芭蕉解体新書』とか、タイトルで引いてしまうところがありますよね。
私の回りでは「虚子編の歳時記になき虚子忌かな」というかたちで冗談っぽく誰かがいうのを何度も聞いたことがあって、まさかそんな名のある方の作品だとは思っておりませんでした。
虚子忌 投稿者:野口裕 投稿日:2012年 8月22日(水)22時11分30秒
記憶で書いたので、間違っているかと調べ直しました。
実際には虚子編の季寄せの方に虚子忌がありました。
入れたのは年尾で、改版序文にその旨明記されています。
句自体は、『歳時記の宇宙』で読んだ記憶があります。
http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B3%E6%99%82%E8%A8%98%E3%81%AE%E5%AE%87%E5%AE%99-Series%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E4%B8%96%E7%95%8C-4-%E9%B7%B9%E7%BE%BD-%E7%8B%A9%E8%A1%8C/dp/4639014317
立ち読みだったのか、手元にその本がありませんでした。
るふらんくん 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月22日(水)21時29分48秒
ちょっと作ってみたけど、あまり面白いのはできないみたいです。ざんねん。
蟋蟀の色蟋蟀の除光液 るふらんくん
桃又桃冷蔵庫又冷蔵庫
菊日和寿命寿命の牛の昼
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おお! 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月22日(水)08時38分40秒
裕さん、ありがとうございます。
ざっと見たところ、「山又山山桜又山桜 青畝」は実にロボット的応用可です。
「虚子編の歳時記にある虚子忌かな 狩行」は「なき」ではなく「ある」なのですね? こはいかに。
並べてみました 投稿者:野口裕 投稿日:2012年 8月22日(水)08時29分49秒
リフレインのデファクト・スタンダードになるかどうかは分かりませんが並べてみます。
雪の朝二の字二の字の下駄の跡 捨女
梅一輪一輪ほどの暖かさ 嵐雪
うめの花赤いは赤いは赤いはな 惟然
霜降れば霜を楯とす法の城 虚子
右の眼に大河左の眼に騎兵 三鬼
分け入っても分け入っても青い山 山頭火
冬の波冬の波止場に来て返す 郁乎
切株やあるくぎんなんぎんのよる 郁乎
十薬のまだ一つ花十歪む 空華
一対か一対一か枯野人 狩行
虚子編の歳時記にある虚子忌かな 狩行
山又山山桜又山桜 青畝
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 稔典
どうしても、リフレインというよりは、畳語と言った方がしっくり来るのも混じりますが、思いつくままということでご勘弁を。
リフレイン 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月20日(月)23時50分45秒 編集済
ちょっと話は変わりますが、俳句におけるリフレインのデファクト・スタンダードがあったら教えて下さい。「一月の川一月の谷の中 飯田龍太」みたいなやつです。「ちるさくら海あをければ海へちる 高屋窓秋」だとちょっと難しいな…。俳句自動生成ロボットに仕込みます。
動脈の酒動脈の曼珠沙華 ゆかりり
静脈の絹静脈の蚯蚓鳴く
東京のけふ東京のいなびかり
こひびとの髪こひびとの秋の午後
人体の水人体の秋の暮
愛欲の丈愛欲の威銃
秋天の層秋天の山と谷
長き夜の谷長き夜の歌謡曲
長き夜の位置長き夜の貴金属
長き夜の猫長き夜の蛍光灯
色鳥の脳色鳥の胸騒ぎ
蟷螂の足蟷螂のねぢまはし
http://yukari3434.web.fc2.com/yukariri.html
贋作<思いつき>からはじめて 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月20日(月)21時14分2秒
もちろん、フラクタル云々というのはただの思いつきに過ぎない。数学を援用するのであれば、「全体で成り立つことは部分でも成り立つ」という、集合論かなにかの定理の方が妥当かも知れない。しかしながら、短歌が上の句と下の句で意味的な切断を持つことにより重層性が生まれるのと同じように、俳句にも意味的な切断が見られるという図形的な相似性はなかなか魅力的だ。しかも、短歌に二句切れや三句切れがあるように、俳句においても切れの位置は上五の後であったり中七の後であったりと、あたかも俳句が短歌の微少部分であるかのようでさえある。
もっとも実際のところ、短歌の作者と俳句の作者では棲み分けがなされており、おおかたの俳人は短歌など読んだりしない。切れに関して俳人が直接的に雛形としたのは、発句をもって俳句の祖としたところの連句であろう。といえば、反論が来ることも明らかである。おおかたの俳人は連句など読みも巻きもしない、と。
予告 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月13日(月)01時19分4秒
さて、数学の世界では「複雑で不規則な図形では、どの微小部分にも全体と同様の形が現れる自己相似性があり、したがって部分を次々に拡大すれば全体の形が得られる」とするフラクタルという概念があります。自然界では樹木・海岸線・山脈などのかたちがそうだと言われているのですが、ひるがえって短歌の微少部分である俳句に対しても、短歌と同様の形が現れるとしたら強引でしょうか。
という前置きをして、近々出題します。ふふっ。
月犬さま 投稿者:令 投稿日:2012年 8月 9日(木)20時42分24秒
葉書という媒体もおもしろいですね!
「夜河」は水墨画のようなデザインがすてきです。
清水昶もよかった。あこがれの詩人でした。
(無題) 投稿者:月犬 投稿日:2012年 8月 8日(水)21時43分18秒
令さま、書影のアップありがとうございます。
「夜河」は1年限定の発行で、13号が第二期の1号となります。
このあと11ヶ月出していきます。
さる方がいったい誰なのか発行人も知りませんが、
それも「夜河」らしくていいですね。
ゆかり様、もし申し込みが多くて足りなくなったらご連絡ください。
少しなら余裕があります。
「夜河」は150部しか作っていませんが。
そうそう 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月 8日(水)19時01分59秒
なんだか妖怪みたいなCMもいろいろあるのです。
http://www.youtube.com/watch?v=8Mve-i8HMus&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=apuVjBHjFiU&feature=relmfu
糎 投稿者:ぐみ 投稿日:2012年 8月 8日(水)02時16分2秒 編集済
昔はCMと書けばセンチメートルのことでした。
今やCMはyoutubeでみられるのですね。Upしてくださり
有難うございました。
かって業界用語のプレゼンテーションも今ではプレゼンとして、普通に
使われるようですね。言葉にも自分史があるのでしょう。
CM 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月 7日(火)12時34分18秒
いえ、ぐみさん、CMにおいても「もっと前なら覚えちゃいるが」が進行しておりまして、最近のCMはあまり記憶に残らないのです。
○好きなCM
http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=LkiStOpyYgQ
●嫌いなCM
http://www.youtube.com/watch?v=bsxMclrmc9w
夜河 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月 7日(火)12時18分55秒
ひゃあ、さる方から届きましたか。いや、私の手許にも客人の分際で十部ほどあるのですが、どのあたりに流通しているのかよく分からず、まだ発送していないのです。ご覧の通り、北の句会に投句した句なので、北の句会関係者にお送りするのもはばかられ…。
ご所望の方は下の「管理者へメール」から、ご住所をご連絡下さい。
長い葉書 投稿者:令 投稿日:2012年 8月 7日(火)12時03分3秒
さる方からゆかり様の一句が載ってる葉書を頂きましたよ♪
「句紙 夜河」とあって、13号だそうです。
清水昶についての文章が葉書の下の部分に表裏にあります。
かっぱえびせん 投稿者:ぐみ 投稿日:2012年 8月 7日(火)01時23分53秒 編集済
グローバルな時代だけど、そちらのテレビのCMはなかなかみられません。かってCMを作る側にいたので、余計見たいです。オリンピックの放映時には、特に力のこもったCMが見られるのでしょうね。♪わかっちゃいるけどやめられない♪
のは、いまでは「かっぱえびせん」なのですね。
ふふふ 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月 6日(月)15時01分45秒
私の作るものにはときどきあまりにも下らない駄洒落や判じ物が混ざっていて、ツマラナイカラヤメロと言って下さる人もいるのですが、やめられない止まらないかっぱえびせん状態なのです。
ああ、 投稿者:令 投稿日:2012年 8月 6日(月)14時25分9秒
そうでしたか。
レイバンのサングラスかぁ!
ゼロ番と読んでました。
シャネルの5番はわかったのですが。
他人の空似 投稿者:野口裕 投稿日:2012年 8月 6日(月)07時12分31秒
舞台裏を晒すのも無趣味な話なので、ごく簡単に。
今回出した五句は互いに関連しています。
シャネルとレイバンの句、よっぽど取ろうかと思ったのですが、
なぞなぞが解けてしまうと手足が生えて来そうになく、見送りました。
見落としているところがあればごめんなさい。
七さん、こんにちは 投稿者:ゆかり 投稿日:2012年 8月 5日(日)12時16分17秒
藤幹子氏、いい記事を書いておられますね。ついでながら、藤幹子と踏切事故は似ています(^^);
歳のせいか「もっと前なら覚えちゃいるが…」になってしまいました。EXILも横浜銀蠅もあまり知りません。シャネルズはちょっと好きでした。ダウンタウンブギウギバンドはもっと好きでした。EXILの縦に並んで縄飛びの縄の伝播のようなことをやる振付?を俳句に詠んでみたいです。
「怖い俳句」 投稿者:七 投稿日:2012年 8月 5日(日)11時22分52秒 編集済
久しぶりに週俳を開けてみたら、藤幹子氏が書いておられたのでコピぺさせていただいた。http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/08/blog-post.html「恐怖」という扁額
らくださんの七七、面白うございました。真似っこしようかとお思いましましたが、無理でござった(^^;)
蝉長嘯鉄骨舞台今群舞 裕
香水は碁盤黒眼鏡は零番 ゆかり
この二句は同じ作者かと思ってました。EXILに横浜銀蠅、シャネル?
令さんと同じく、「詩レ入句会」に集まる句を読むのが楽しみなのです。
(あ、週刊俳句様から無断でコピぺ!まずければ削除致しますです。ハイ。)
わ~PCの画面が揺れる~~~ぅぅぅ・・祟りか・・(汗
http://soup-stock7.blogspot.com/
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