次の章は「禽獣図譜」。実在の動物に限らず、鵺、迦陵頻伽、一角獣、火喰獣(サラマンドル)なども登場する。猿嫁、猿王あたりはちょっと分からない。出典があるのかも知れないし、その辺の人間社会のことなのかも知れない。また「青き馬」「群青の馬」「青き鷹」「青麦」「青水無月」「青海亀」と、青への固執もしくは偏愛も感じられる。そんな中、鮎の四句がただならぬ飛躍を見せる。
若鮎の骨美しき宇宙塵 掌
寵童を殺めし信長鮎を食う
鮎食べて天球の半径を測る
月球儀鮎の動悸のおくれけり
なんと四句のうち三句は天体との取り合わせとなっている。年魚の異名が示す通り鮎は一年で一生を終えるので、そういう意味では惑星の周期に思いを馳せる引き金となっているのかも知れない。句集のタイトルの由来であろう月球儀の句、「動悸」が「同期」の同音異義語であることに注目しておこう。俳句の世界では同音異義語など注目に値しないことかも知れないが、この作者は朔太郎の写真とコラボするような人なので、油断ならないのだ。
2018年11月21日水曜日
山本掌『月球儀』を読む(2)
次の章は「双の掌」。「掌」は作者自身の名前でもある。手や指を中心とした連作であるがどの句にも必ず手が出てくる訳ではない。そのあたり作者の美意識によってゆるやかに連結されているようである。「掌」から「磔刑」「ゴルゴダのイエス」などが導かれたりもするが、連作は意外な結末に向かう。最後の三句をみよう。
寂静や人体直立歩行より 掌
寂静は仏教用語で「煩悩(ぼんのう)を離れ苦しみを絶った解脱(げだつ)の境地。涅槃(ねはん)。」とのこと。ついでながら前章「さくら異聞」中の瞋恚も仏教語であった。特定の宗教の立場ではなく、作者の詩情のほとばしりによってあるときは磔刑となり、あるときは寂静となるのだろう。
われ眠る月の柩に仰臥せり
「月の柩」という措辞が世俗を離れ比類なくうつくしい。そして柩のなかにあって死とは言っていない。「われ眠る」なのだ。前句「寂静」から導かれたイメージの広がりなのだろう。連作ならでは味わいである。
月光の贄なるわれの生死かな
前句のパラフレーズであるが、生け贄とか鳥葬とかが頭をよぎりつつ「月光の贄」の静謐さを思う。そんな今際の時もよいかも知れない。
参考までに柩に寝るというだけなら先行句として例えば以下がある。
寝棺より眺む風花かと思ひ 清水径子
棺に寝て朝顔へ人走らする 同
清水径子も独特の死生観を詠んだ俳人だが、後者は息を引き取ったばかりのあわただしさを故人に転嫁したユーモラスにして万感の追悼句だろう。
寂静や人体直立歩行より 掌
寂静は仏教用語で「煩悩(ぼんのう)を離れ苦しみを絶った解脱(げだつ)の境地。涅槃(ねはん)。」とのこと。ついでながら前章「さくら異聞」中の瞋恚も仏教語であった。特定の宗教の立場ではなく、作者の詩情のほとばしりによってあるときは磔刑となり、あるときは寂静となるのだろう。
われ眠る月の柩に仰臥せり
「月の柩」という措辞が世俗を離れ比類なくうつくしい。そして柩のなかにあって死とは言っていない。「われ眠る」なのだ。前句「寂静」から導かれたイメージの広がりなのだろう。連作ならでは味わいである。
月光の贄なるわれの生死かな
前句のパラフレーズであるが、生け贄とか鳥葬とかが頭をよぎりつつ「月光の贄」の静謐さを思う。そんな今際の時もよいかも知れない。
参考までに柩に寝るというだけなら先行句として例えば以下がある。
寝棺より眺む風花かと思ひ 清水径子
棺に寝て朝顔へ人走らする 同
清水径子も独特の死生観を詠んだ俳人だが、後者は息を引き取ったばかりのあわただしさを故人に転嫁したユーモラスにして万感の追悼句だろう。
2018年11月20日火曜日
山本掌『月球儀』を読む(1)
しばらく山本掌『月球儀』(DiPS.A)について書く。
(著者にご恵送頂きました。ありがとうございます。)
最初の章は「朔太郎・ノスタルヂア」と題され、萩原朔太郎が撮影した写真六枚と山本掌の句のコラボとなっている。朔太郎の写真は初めて見たが、ここで使われている多くは茫洋とした不思議なものである。わりとくっきりしたものでは「大森駅前の坂道」という一枚があるが、ひと気のない白昼の坂道と石垣を遠近法の構図で捉えたもので、それはそれで夢のようである。右側の高台は光の関係でほぼ影となっている。例えばその一枚に添えられた句は以下。
影なくす唇(くち)に秋蝶触れてより 掌
このように写真を説明する訳でもなく、付けられている。秋といえばものの影がくっきりとする季節であるが、幻想の入口であるかのように、倒置で「影なくす」と切り出している。
次の章は「さくら異聞」。三部に分かれ、さくらにまつわる四十句が収められている。「日月流離糸をたぐればさくらかな」で始まり「白馬(あおうま)のまなぶたをうつさくらかな」で終わるが、四十句全体がひとつの世界でそこから一句を切り出して鑑賞したりするものではないのだろう。憎悪、瞋恚、妬心、殺意などの激しい感情が妖艶に移ろい、美童が打擲され臓器がゆらぐ。
(続く)
(著者にご恵送頂きました。ありがとうございます。)
最初の章は「朔太郎・ノスタルヂア」と題され、萩原朔太郎が撮影した写真六枚と山本掌の句のコラボとなっている。朔太郎の写真は初めて見たが、ここで使われている多くは茫洋とした不思議なものである。わりとくっきりしたものでは「大森駅前の坂道」という一枚があるが、ひと気のない白昼の坂道と石垣を遠近法の構図で捉えたもので、それはそれで夢のようである。右側の高台は光の関係でほぼ影となっている。例えばその一枚に添えられた句は以下。
影なくす唇(くち)に秋蝶触れてより 掌
このように写真を説明する訳でもなく、付けられている。秋といえばものの影がくっきりとする季節であるが、幻想の入口であるかのように、倒置で「影なくす」と切り出している。
次の章は「さくら異聞」。三部に分かれ、さくらにまつわる四十句が収められている。「日月流離糸をたぐればさくらかな」で始まり「白馬(あおうま)のまなぶたをうつさくらかな」で終わるが、四十句全体がひとつの世界でそこから一句を切り出して鑑賞したりするものではないのだろう。憎悪、瞋恚、妬心、殺意などの激しい感情が妖艶に移ろい、美童が打擲され臓器がゆらぐ。
(続く)
2018年11月4日日曜日
愛着と執着の「を」
そうこうしているうちに大野晋、丸谷才一『日本語で一番大事なもの』(中公文庫)にたどりついた。「天ざかる鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ」を検索したら、個人でこの本の索引を作っているサイトにヒットしたのだった。87年に出版され90年に文庫化された本で、その時分には私はまだ俳句をやっていなかった。いや、仮にやっていたとしても、題名を見ただけで「けっ」と言って近づかなかったに違いない。「てにをは」を中心に日本語の助詞について徹底的に解剖するじつにディープな対談で、丸谷が聞き手に回り大野が解説するスタイルとなっている。
「を」については<愛着と執着の「を」>という刺激的な章題となっていて、見出しを拾うと<目的格の「を」><経由の場所、時間を示す「を」><接続助詞の「を」><『新古今』的な「を」><「ものを」の意味><「ものゆゑ」「ものから」のむずかしさ>と続く。
丸谷 強調とか詠嘆とかの「を」ですね。
大野 いろいろな意味が入っているわけです。論理的な目的格であるという機能だけでなくて、それ以外に、それに対する愛着であるとか、執着であるとか、承認であるとかが「を」にはあるんです。原則として「を」には、それがあることを認めておくと、助詞の「を」を理解するときに、非常にわかりやすいと思います。
という原則があって、さまざまな「を」について語り尽くしている。おそろしい。
「を」についてはさておき、<「……のごと」から「……のごとし」へ>というくだりもある。「こと降らば袖さへぬれて通るべく降りなむ雪の空に消(け)につつ」を引き合いに、「同じ降るのだったら」という歌の解説の後、以下のように続く。
大野 (前略)ですから、「こと」というのは、「同じ」という意味です。それで「夢のごと」「今のごと」は、この「こと」の頭が濁ったもので、「今のごと」は、現代語では、「今と同じ」ということになります。(中略)「ごとし」という形容詞は、この「ごと」に形容詞語尾「し」をつけたものです。
ひえ~、なんということ。私は俳句しか知らないので、俳句の中で見かける「ごと」について、定型の要請で「如し」を勝手に縮めたものだと思っていたので、認識を新たにした。逆だったんだ。いろいろ目からうろこが落ちる本である。
「を」については<愛着と執着の「を」>という刺激的な章題となっていて、見出しを拾うと<目的格の「を」><経由の場所、時間を示す「を」><接続助詞の「を」><『新古今』的な「を」><「ものを」の意味><「ものゆゑ」「ものから」のむずかしさ>と続く。
丸谷 強調とか詠嘆とかの「を」ですね。
大野 いろいろな意味が入っているわけです。論理的な目的格であるという機能だけでなくて、それ以外に、それに対する愛着であるとか、執着であるとか、承認であるとかが「を」にはあるんです。原則として「を」には、それがあることを認めておくと、助詞の「を」を理解するときに、非常にわかりやすいと思います。
という原則があって、さまざまな「を」について語り尽くしている。おそろしい。
「を」についてはさておき、<「……のごと」から「……のごとし」へ>というくだりもある。「こと降らば袖さへぬれて通るべく降りなむ雪の空に消(け)につつ」を引き合いに、「同じ降るのだったら」という歌の解説の後、以下のように続く。
大野 (前略)ですから、「こと」というのは、「同じ」という意味です。それで「夢のごと」「今のごと」は、この「こと」の頭が濁ったもので、「今のごと」は、現代語では、「今と同じ」ということになります。(中略)「ごとし」という形容詞は、この「ごと」に形容詞語尾「し」をつけたものです。
ひえ~、なんということ。私は俳句しか知らないので、俳句の中で見かける「ごと」について、定型の要請で「如し」を勝手に縮めたものだと思っていたので、認識を新たにした。逆だったんだ。いろいろ目からうろこが落ちる本である。
2018年11月3日土曜日
人麻呂は「を」とは書いていない
ふたつ前の記事で「を」について書いた。岩波古語辞典で「移動や持続を表す動詞の、動作全体にわたる経由の場所・時間を示す」用法の用例としてあげられていたのは以下の二首。
「天ざかる鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ」<万三六〇八>
「長き夜を独りや寝むと君が言へばすぎにしひとの思ほゆらくに」<万四六三>
後者は 直前に家持が妾の死を悼んだ歌があり、それに対する弟書持(ふみもち)が応えた歌とのこと。
今よりは秋風寒く吹きなむをいかにか独り長き夜を宿(ね)む 家持 <万四六二>
家持の歌では「を」が二回出てくるが、 「吹きなむを」のほうは順態の接続助詞とのこと。書持がオウム返しすることになる「長き夜を宿む」がくだんの用法。
一方、前者のほうはいささか事情がややこしい。人麻呂に先行歌がある。
天ざかる夷(ひな)の長道(ながぢ)ゆ恋ひくれば明石の門(と)より大和島見ゆ 人麻呂<万二五五>
<万三六〇八>のほうは新羅使等が船上で吟誦した古歌で、茂吉『万葉秀歌』によれば「此は人麿の歌が伝わったので、人麿の歌を分かり好く変化せしめている」とのこと。つまりオリジナルは「を」ではなく「ゆ」なのだ。この「ゆ」について久松潜一 『万葉秀歌』には次のようにある。
赤人の「田子の浦ゆ」も同様であるが、田子の浦のばあいは田子の浦からどこへということもないので、しだいに田子の浦にの意味になってきたが、この歌のばあいは進行を表わす「ゆ」であることがはっきりしている。しかし巻十五の歌(ゆかり註、<万三六〇八>のこと)では「長道を」となっているが、これは語感からいうと人麻呂のすぐれた語感が失われている。
なお、人麻呂の歌は『新古今集』にもえらばれているが、久松によれば「恋ひ」が「漕ぎ」に変わり、以下となっている。
あまざかるひなのながぢをこぎくれば明石のとより大和しまみゆ
ここでも「ゆ」ではなく「を」であり、どうやらそのようにして 「移動や持続を表す動詞の、動作全体にわたる経由の場所・時間を示す」用法の「を」が定着していったのではないかと思われる。
「天ざかる鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ」<万三六〇八>
「長き夜を独りや寝むと君が言へばすぎにしひとの思ほゆらくに」<万四六三>
後者は 直前に家持が妾の死を悼んだ歌があり、それに対する弟書持(ふみもち)が応えた歌とのこと。
今よりは秋風寒く吹きなむをいかにか独り長き夜を宿(ね)む 家持 <万四六二>
家持の歌では「を」が二回出てくるが、 「吹きなむを」のほうは順態の接続助詞とのこと。書持がオウム返しすることになる「長き夜を宿む」がくだんの用法。
一方、前者のほうはいささか事情がややこしい。人麻呂に先行歌がある。
天ざかる夷(ひな)の長道(ながぢ)ゆ恋ひくれば明石の門(と)より大和島見ゆ 人麻呂<万二五五>
<万三六〇八>のほうは新羅使等が船上で吟誦した古歌で、茂吉『万葉秀歌』によれば「此は人麿の歌が伝わったので、人麿の歌を分かり好く変化せしめている」とのこと。つまりオリジナルは「を」ではなく「ゆ」なのだ。この「ゆ」について久松潜一 『万葉秀歌』には次のようにある。
赤人の「田子の浦ゆ」も同様であるが、田子の浦のばあいは田子の浦からどこへということもないので、しだいに田子の浦にの意味になってきたが、この歌のばあいは進行を表わす「ゆ」であることがはっきりしている。しかし巻十五の歌(ゆかり註、<万三六〇八>のこと)では「長道を」となっているが、これは語感からいうと人麻呂のすぐれた語感が失われている。
なお、人麻呂の歌は『新古今集』にもえらばれているが、久松によれば「恋ひ」が「漕ぎ」に変わり、以下となっている。
あまざかるひなのながぢをこぎくれば明石のとより大和しまみゆ
ここでも「ゆ」ではなく「を」であり、どうやらそのようにして 「移動や持続を表す動詞の、動作全体にわたる経由の場所・時間を示す」用法の「を」が定着していったのではないかと思われる。
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